宅野ライブ!
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2015-07-26T10:17:35Z
宅野のライブな風景を切り取ります。
Movable Type Pro 4.23-ja
エンドファイト
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1077
2015-07-26T06:42:40Z
2015-07-26T10:17:35Z
何だか、最後の底力みたいな語感ですが、実は全然違って、 植物体内で共生的に...
caferoman
何だか、最後の底力みたいな語感ですが、実は全然違って、
植物体内で共生的に生活している真菌や細菌のことです。
endo(within)とphyte(plant)からの造語。
最近、自然農でいうところの「補い」ということについてよく考えます。
慣行農法では、
基本的に何かを植えると、土の中の肥料養分が吸い上げられ、地力がなくなってしまう、
だから栽培には施肥が不可欠である、と考えます。
これが自然農では、
枯れて腐敗した草や根、それに目に見えない微生物群や昆虫・菌類などが土の中で
死滅・再生を繰り返して循環するため、
施肥をせずとも、地力は「自然に」ゼロバランスを保とうとする、という考えです。
外部から肥料分を与えなくとも、
植物は土中から「エンドファイト」を取り込んで共存共栄している、
そういうことが科学的にも解明されるようになってきました。
自然の土中には微生物が大気中の窒素を固定するような環境が
あらかじめ備わっています。
土中には想像を超える大量の微生物( 雑草が生えるような土壌には、
4000㎥中におよそ2トン!) が生息しているのだそうです。
そうして、何か植物が植えられると、それに対して共存する状態を作り出すような
特定物質が出されたり、逆に植物の根から仮眠状態の微生物を揺り起こす物質が
出されたりしている、ということがわかってきました。
大豆根粒菌のことはよく知られていますが、
土中の微生物が作り出す窒素量は、
これを自然に任せた場合には、慣行栽培の化学肥料がまかれた畑に比べると、
およそ3 倍という高い値を示すのだそうです。
だからね、
そういうことを全く無視して、窒素・リン・カリ等の化成肥料や、
除草剤、殺虫剤、消毒剤なんかをガンガン投入しちゃうと、
そりゃ、いい時はいいだろうけど、
土だっていずれ機能不全を起こさないわけがないだろうと思います。
しかしまぁ、
自然農といって、できるだけ自然に任せて何もしないわけですが、
かといって、自分の食べる野菜ぐらいはきちんと収穫したい。
そこで、どう手助けするかというのが自然農のキモだろうと思います。
それも、EMとか外部から微生物を持ち込むんじゃなくて、
収穫したい野菜が、それなりに収穫できるように、
そこの土中の微生物群がより働きやすい環境を作り出してあげないといけない。
外部から、その場に野菜を持ち込むわけだから、
やっぱり、そこは、人為的に、
その野菜たちが微生物群と共存・共栄できる環境を、
ちゃんと気配りして、整えてあげないといけないと思うのです。
全てが同じ環境の土なんてひとつもないわけだから、
同じ野菜を植えるにしても、その圃場に応じた手助けのあり方は全て異なります。
それをうまく判断できる観察力と対応力が求められます。
「肥料」ではなく、土中の自然サイクルを過不足なく手助けするための「補い」。
そのあり方を考えています。
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クローニャと梅の天日干し
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1076
2015-07-25T05:46:16Z
2015-09-25T13:02:20Z
梅雨明けして、今日は太陽がガンガンです。 ようやく夏がやってきた感じです。...
caferoman
梅雨明けして、今日は太陽がガンガンです。
ようやく夏がやってきた感じです。
野良猫のクローニャも、これはたまらん。
朝から日陰で伸びています。
土用に入ったので、ようやく梅の天日干し。
今年はほんのちょっぴりですが、まだ一昨年のも残っているので、少しで大丈夫。
昨日の午後から干し始めたのですが、
日差しがかなり強くて、もう干し上がったみたいです。
でも、そのまま朝露にあててもう一日。
最後のひと枝の桃。
こちらも枝に4個ついていたのですが、開封してみると2個は落ちていました。
「木成り完熟」というやつですね。
しかし、味はこの間の、「完熟一歩手前」が最高でした。
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それでももも。
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1075
2015-07-22T03:38:37Z
2015-07-22T03:42:20Z
これまで、 せっかく袋掛けした桃の実のほとんどが袋の中でダメになったのだけれど...
caferoman
これまで、
せっかく袋掛けした桃の実のほとんどが袋の中でダメになったのだけれど。
いい加減に枝ごと角2の封筒を被せていた袋を開いてみたら、
枝には、すべての実がちょうど食べ頃に熟していました。
被せた袋の隅のセロテープ越しに、
ちょっと熟れた色が見えたので外してみたのでした。
うん、袋を被せちゃうと、中の熟れ具合がよくわからないから困っちゃうんだよね。
こんなふうに一部が透明になっているといいんだ。
それにこんなふうにいい加減に枝ごと覆っちゃったのだけれど、
これがかえって中まで虫が入れなくてよかったのか、
それとも偶然にうまくいっただけなのか。
それに、
この枝は木の下の方についてたから、見逃して摘果しなかった。
だから、細い枝に4個もついています。
でも、これぐらい大きくなるんだったら、そもそも摘果する必要もなかったんじゃね?
ちょうど隣の細い枝に、たぶん同じぐらいに実がなっている袋が残っています。
これも落果せずについているようなので、、近いうちに開封してみます。
さてさて、どうなっていることやら。
袋掛けも、なかなか奥が深い。
ゴーヤの花。こちらはまだ雄花ばかり。
この季節、定番のささげです。
ちらほらと花が咲き、日本の角のような実が伸びてきています。
これはあまり色がないですが、
日によっては、とてもきれいな淡い青紫の花びらになります。
そして、モロヘイヤの花。
苗を移植してすぐに実がついてしまいました。
その実は毒だそうですが・・・。
まだ収穫もしていないのに、実がついて花が咲いちゃう。
何でだろう。
調べてみると、生育適温が25℃以上ということで、
早い時期の温室苗を露地植えにすると、
梅雨時の低温期なんかに、秋が来たと思って花を咲かせちゃうみたいですね。
これは摘花した方がいいようです。
これまであまり成長せず、硬そうな葉っぱばかりでした。
それでも、ようやく梅雨明けもしたので、気温も上がることでしょう。
50cmぐらいに伸びたら摘芯。
これから大きく伸びて、
どんどん柔らかい新芽がでてくればいいなと思っています。]]>
桃の袋掛け
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1074
2015-07-13T09:28:31Z
2015-07-13T09:29:28Z
袋掛けした桃の袋の底が滲みていたので、 どうもやばいと思って袋を開けてみた...
caferoman
袋掛けした桃の袋の底が滲みていたので、
どうもやばいと思って袋を開けてみたら、やっぱり虫にやられていた。
ひとつは落果していたのだが、これはまだ枝についているのに腐りかけていた。
今までのも袋の中での生理落果だと思っていたのだけれど、
これを見てよく考えてみるに、
どうもそうばかりとは言えないかもしれない、という気がしてきた。
今回は、ほとんどが枝付きのところから傷みが入って、そこから傷みが広がっている。
ほとんどは虫が入っていたり、ナメクジが入っているのもある。
あらかじめ虫の卵が産みつけられたところに、
後から袋掛けをしたのだろうかとも思うが、
それにしては今回全滅に近い。
なら、枝付きのところから侵入して食い荒らしたのだろうか。
それとも、ここのところ雨が降り続く日が多かったので、
その枝付きのところから雨が滲み込んで、そこから腐りはじめて、虫もついたのか。
それなら袋掛けのやり方がまずかったのだろうかと、
いろいろ調べてはみたが、皆さんさほどご丁寧な袋掛けをされているわけでもない。
ウチも昨年は、同じ袋掛けのやり方で問題はなかったのだ。
でみ、確かに枝付きから雨が流れ込み、袋内に溜まったようなものもあった。
しかし、だからといって、袋に傘をさしかけるというのもちょっとやり過ぎの気がする。
それならいっそ、袋掛けなんてしない方がいいのかとも思うが、
一昨年は、それでほとんどの実が熟すまでに虫にやられたからなぁ。
今年は、ひとつの実の大きさが、
スーパーに売ってるのの小玉ぐらいには大きく育ってたのに、
残念。
あと少しは袋掛けの実が残っているけれど、この調子だと期待薄だね。
もう、袋取っちゃおうかな。
うーん。
来年はいったいどうしたものか、ちょっと課題です。
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ワトソニアとモントブレチア
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1073
2015-07-11T06:15:41Z
2015-07-11T06:19:50Z
ちょうど梅雨の今頃に咲くオレンジの花。 何て名前かなぁと探していたら、たぶ...
caferoman
ちょうど梅雨の今頃に咲くオレンジの花。
何て名前かなぁと探していたら、たぶんヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)。
またの名がモントブレチアというのだそうです。
これとよく似たのに、ヒオウギズイセン(檜扇水仙)というのがあって、
これの別名がワトソニア。
グラジオラスのように大きくはないのですが、姫だからといって特に小さくもなく。
で、いろいろ調べてみるのですが、
どうもこのワトソニアとモントブレチアを混同してしまっているサイトが多くて、
たぶん亜種もたくさんあるのでしょうが、いったいどれが正しい情報なのかわかりません。
でも確かなことは、モントブレチア(ヒメヒオウギズイセン)というのは、
繁殖力が強い外来種としてとても嫌われているということ。
佐賀県なんかでは移入規制種の指定を受け、栽培が条例で禁止されています。
同じような花なのに、ワトソニアにはお咎めなし。
でも、もう100年も前の外来種らしいので、
いつまでもそんなよそ者扱いしなくても、と思ったりします。
そういえば、同じく今頃に咲く黄色い花。
オオキンケイギク。
これも特定外来生物として同じような扱いを受けています。
秋に咲くキバナコスモスとそっくりですが、
葉っぱの形が違うし、咲く時期が違います。
特定外来生物に指定されると、
生きたままの運搬や栽培、譲渡などが原則として禁止される、とあります。
何だか麻薬なみの扱いですね。
・・・これはここだけの話ですが、実はウチのウラ庭で密かに栽培しています。
ところで先週、そろそろかと思い桃の実に袋を被せたのでした。
しかし、その後何日か雨が降り、
その後様子を見てみると、どうも袋の中に実が落ちて、もう腐り始めているのでした。
落果はどうにも仕方がないですが、だいぶ大きくなってきていたのに残念です。
でも、あといくつかは残っているので、このまま健やかに育ってほしいものです。
「あっ」
いいことしてる。
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自然農って、つまりサイクルの短い焼畑農業なんだ。
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1072
2015-06-21T14:26:05Z
2015-06-21T14:36:04Z
山に暮らした人たちは、昔からよく「焼畑」をやってきたという。 宮本常一の本にも...
caferoman
山に暮らした人たちは、昔からよく「焼畑」をやってきたという。
宮本常一の本にもよく出てくるけれど、
たいていは焼き払って農地にして、
その後作物が取れなくなるから放置して移動する。
山が荒れて困る、という話。
施肥を行わないので、だいたい3年から4~5年で地力が低下して、
農地として使いものにならなくなってしまうのだそうです。
そうなんだよね。
これ普通の畑でも同じことで、無農薬は当然のこととして、
不耕起・無肥料でやっていると、だいたい3年目くらいから目立って野菜が育たなくなる。
田の場合は、たぶん夏季に潅水したりする関係で多少長持ちはするけれど、
それでも4~5年でかなり地力が低下してくる。
このことを「不耕起・無肥料・無農薬」という共通項で考えると、
あれ?
これはひょっとして焼畑とか自然農とかというよりも、
単に「地力」というか、「地の回復力」の問題ななんじゃないかと、
そう思い至ったのでした。
焼畑農業というものも、本来は、
「作物の栽培後に農地を一定期間放置して地力を回復させる」循環的な農業である、と。
その回復力は土地によって様々で、5年で戻るところもあれば、10年、20年かかるところもある。
それは長い目で見れば「農地と森林の輪作」であり、持続可能な農業である、と。
・日本ではヒエ・アワ・ソバ・ダイズ・アズキを中心に、ムギ・サトイモ・ダイコンなど
も加えた雑穀栽培型の焼畑農業が一般的。
・耕作期間は3- 5年で、その後15- 20年間放置し、地力を回復させる。
とある。
なるほど。
基本的な考え方は自然農とたいした違いはないんだ。
しかし、こちらは山じゃなくて常畑。
同様に区画割りして輪作していけば、多少は長持ちしますが、
それでもやっぱり短期間の輪作には無理が生じてきます。
無肥料で栽培を続けていると、3年目を過ぎたあたりからうまく育たない野菜が出てくる。
タマネギ、ジャガイモ、サツマイモなんかは実が全然大きくならない。
ラッカセイもだめ。
ナス、キュウリ、トマトも、苗から植えてもひょろひょろして、やがて消えてしまう。
ダイコンも太らない。ハクサイも巻かない。
ズッキーニやカボチャなんかも、どうも自家受粉ができなくなるようです。
何とか育つのが、ささげやえんどう、大豆などの豆類。
それに、のらぼう菜や小松菜、春菊など一部の葉物ぐらいになります。
田でも、やっぱり3年目ぐらいから、裏作に蒔く麦が目立って育たなくなってきました。
自然農の川口さんのところでは、「無肥料」と言います。
確かに化学肥料や、牛ふん・鶏糞、発酵させた堆肥などは使っていません。
(本来なら、人糞は畑に戻すべきだとは言っておられましたが・・)
その代わり、「米ヌカ」や「油カス」などを適時施しています。
「持ち出さず、持ち込まず」が原則ですが、
ただ畝で取った草をそこに被せてるだけじゃないんですね。
川口さんは、これを「肥料」とは言わず、「補い」と言います。
どこが違うんだろうと、ずっと思っていました。
米ヌカや油カスには、結局「チッ素・リン酸・カリ」などがバランスよく含まれているのであって、
これが足りなくなっているから、「補い」をしないと作物も育たなくなる。
しかし、それをあえて「肥料」と言わず、「補い」というのは、どういうことだろう。
考えてみるに、つまり地力の、
どの状態を自然のゼロ地点に据えるか、という問題なのだろうと思いました。
例えば、山を拓いて焼いて、初めて種を蒔く時の状態。
そして、3年もそこで栽培して、その後5年、10年、15年かけて元の森に戻して、
再度、その森を拓いて焼いて、再び種を蒔く時の状態。
それを地力のゼロバランスの状態だとしたら、
短いサイクルで同じ土地を利用し続けるためには、
栽培・収穫で地力を使い果たしてしまうことは避けなくちゃいけない。
そのゼロバランスの状態を維持するための「補い」である、と。
できるだけ多く、できるだけ大きく、できるだけ早く、と欲望のままに施肥を行うと、
それはすなわち、「肥料」という「貪り」になる。
自然農の作物は、虫害や病気にあうことはほとんどないですが、
必要以上の「肥料」を入れた時には、途端に虫が寄りつき、様々な病気にやられ始めます。
だから、慣行農法の畑はほとんど農薬と肥料にまみれることになります。
焼畑の場合は、腐葉土が天然の肥料となるし、
森は焼いても、次の森林が速やかに回復するように、根はちゃんと生かしておくのだそうです。
しかし、焼畑と違い、限られた土地で、10年も20年も放置できない常畑なら、
栽培・収穫後は、できるだけ短いサイクルで地力を回復させ、
常にゼロバランスの状態を維持できるように努める必要があります。
常畑にあって、その「休耕放置」と「補い」をどのように行っていくべきか。
そのさじ加減こそが、
自然農を本来の持続可能な循環型農業に仕立てるキモなんだろうな。
そう思った。
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岩国のおばあちゃんの話
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1071
2015-06-17T04:37:54Z
2015-06-17T14:48:55Z
宮本常一「なつかしい話」より 「それは私、山の中で、岩国のずっと奥の方の山中だ...
caferoman
宮本常一「なつかしい話」より
「それは私、山の中で、岩国のずっと奥の方の山中だったんですが、
村の中一軒一軒をずうっと訪ねて話を聞いたことがあった。
そうしたら八十六か七になるおばあちゃんが、たった一人で暮らしている。
それも行ってみるっていうと、それこそ気の毒なような小屋で暮らしている。
どうしてこんな小屋で暮らしているのかって聞いたら、
洪水で山崩れがあって、その谷の口にあった家がつぶされてしまったという。
子どもはおるんです、岩国の方に。
子どもたちは、岩国へ来なさい、いやわたしはいやだ、という。
それで家がつぶれてしまっても、ここにおるんだといったら、
村の人がとにかく古い納屋を解いて、持ってきてくれた。そして建てた。
そこに住んでるんですがね、一人で。
そのおばあちゃんは、鎌が一丁と、鍬が一丁、あと石臼がある。それで暮らしている。
それが全く最敬礼したんですが、流された土をね、もう一ぺん拓いて畑にしましてね、
そこで野菜をつくっている。
その野菜はね、とにかく一月に一ぺんか二遍ずつ来る岩国の子に、
手土産に持たせるために作っているんです。
それから隣近所に世話になりましょう。その世話になってる人にその野菜を配る。
それでメシ、食べられるんですなあ。
鍬一丁のもつ生産力に感心したのです。二丁必要ないんですわね。
けっして貧しいから一丁ではなくて、自分で使いこなせるのはこれ一丁でいいと。
草が生えたら鎌で刈りゃいい。
自分ではもう研ぐ力がない、八十六にもなりますとね。
刃が丸まって切れんのだと言うと、近所の人がみんな研いでくれる。
夜になると電灯もつかない。電灯は要らないという。早う寝るんだから。
外から見ると、じつにその人の生活というものは、陰惨で、時代遅れでと思うんですが、
ご本人自身の中へ立ち入ってみますとね、それは実に豊かなんですわな。
なんら困ることはないんですね。
そしてわずかばかり小麦を作ると、自分で臼でひいて粉にして、団子こしらえているんです。
とにかくこんな生活しておっても、乞食はしておりません、
岩国へ行って子どものところで、こんな生活ができますか、
そこへ行けば隣近所というものがあって、ポツンとしていなければならない、
そんな生活はたえられない、という。
いったい、いつまでそれをなさっているんですかと聞いたら、死ぬまでやりますと。
そういう生活のたて方というものがあったんです。
それをね、上の方から見ると、年寄りを一人でおいてくということになるんでしょうが、
じっさい問題はそうじゃない。
そうやっていくことで生きがいを感じているのです。
それがほんとうの姿ではないだろうか。」
これに、作家の山崎朋子がこう応じてるんですね。
「私が、二年位前ですか、アメリカの西海岸、
先生の出身地の瀬戸内の人もどんどん移民して渡ったところですけれど、
そこに一世のおじいさん、おばあさんを訪ねて歩きましたら、
なんと一人暮らしの人が実に多いんですね。
それをどこだかの新聞に書きましたら、投書がたくさんきましたのを見て、
私がとても妙な思いがしたのは、あんな淋しい、かわいそうな暮らしをしてお気の毒だ、
アメリカでご苦労があったのに、せめて晩年ぐらいはもっと大切にされてもいいじゃないか
と言うものが圧倒的に多かったことです。
・・・ところがそういう手紙を下さった人たち、かなり年輩の老人層も多かったんです。
で、私こんどは逆にお返事を出して、
失礼ですがあなたはどういう生活をしてらっしゃったかと、特に女の方に伺ったのです。
そうしたら、そこで一つ分かりましてね、それはサラリーマン層のかみさんですね。
夫に養われて、都市の会社員の妻としてずっと生きてきて、
六十、七十歳をむかえた人たちは、
やはりそういう一人暮らしは果てもない恐い世界なんです。
ところが私どものばあさまだとか、
要するに自分の食べるぐらいは、戸主とか家の代表者の名前はともあれ、
自分だって一人前の働きをしなければ女として一人前に扱われなかった人たちですからね、
家事育児だけですごす女はひと昔前までは役立たずで三行半ですからね。
一人前の女の働きをして生きてきた女の人たちというのは、
自分の裁量で自分一人生きるということに
余人が考える程怖れも違和感も感じてないということなんです。」
こういうのを読むと、
昨今の「都市から地方への高齢者の移住推進」という地方創生の議論が、
まったく数字合わせだけの机上の空論だということがはっきりわかりますね。
ま、都市の高齢者は男も女も「役立たずの三行半」なんだから、
姥捨山のつもりで地方に追いやりたい、という意見がまかり通るようになってきたのでしょう。
しかしあれですね。
そういう口車に乗せられて地方に移住でもしようかっていう高齢者は、
やっぱり小金持ちな上に、年金を食いつくす団塊の世代の人たちなんでしょう。
だとしたら、
地方に招くにあたっては、まずその年金の返上と財産没収が条件だね。
それと、生涯の労働奉仕。
それこそ僻地に住むばあさんやじいさんに、
草の取り方から野菜の作り方、季節の過ごし方をいちいち一から教えてもらうといい。
人間としての生活力の差を生身の心身で感じてもらわないとね。
うん、それならいいかも。
僻地に移住してまで、都市と同じような生活スタイルを維持しようと思っても、
そうは問屋がおろさない、
ということをはっきり覚悟して来てもらわないとね。
いいね。
日本の再生というのは、
実際そういうところから始まるんじゃないかと思う。
子どもの教育が問題なのじゃなくて、
自分の保身にだけかまけて結果的にこういう社会を築いてきて、
無事定年退職を迎えた輩の方が問題なのだと思う。
一番たちの悪い「無作為の作為」を地で生きた人たち。
だからこそ、そこでリタイアじゃなくて、
そこからもう一度生まれ変われるチャンスを設けてあげるのがいい。
介護も必要だけれど、
介護に頼らず、一人ででも生きていける強い身体と心を鍛える方が重要だよね。
これから90も100も生きるような高齢化社会なら、
こういうリボーンの施策こそ本来の社会福祉なんじゃないかと。
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オリーブの花が開いた。
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1070
2015-06-01T04:25:44Z
2015-06-01T04:35:15Z
去年もこんな蕾がついてたけど、その後は特に何もなし。 花が咲いたんだから、実が...
caferoman
去年もこんな蕾がついてたけど、その後は特に何もなし。
花が咲いたんだから、実がなればいいのになぁ。
でも、1本じゃだめなのかもしれない。
オリーブは意外と挿し木でつくみたいなので、
ちょっと違う種類の木があれば、挿し木してあげればいいんだよね。
もう少し広い土地があればそうしたい。
チコリは今年もオノレ生えで花が咲いた。
ハローアゲイン。
ワサビ菜にも花が咲いた。
これで次の種が取れます。
今、のらぼう菜や小松菜やこぶ高菜が縦横無尽に枝を伸ばして、
その先の種がふくらんで重たくなって垂れ下がってきています。
春菊もそろそろ花が終わって種になってきています。
1本で種はたくさんできるから間引けばいいのだけれど、
菜の花がきれいだし、その後の種がふくらんで色づいてくるのを、
どうも途中で引っこ抜けないんだよね。
だから、次の夏野菜の種が蒔けなくて困る。
種に必要なものを少しだけ残して、さっさと片付けちゃえばいいのだけれど、
どうもできないんだよね。
どうせ種が袋にいっぱいになって、後は抜いて畑に戻すだけなんだけどね。
だから、今年も種だけはいっぱいできます。
本当は種まで残して放置しておく畝と、
次の季節の種が蒔ける畝が別にあるといいんだけど。
もう少し広い土地があればそうしたい。
今日から6月。]]>
昼咲き月見草とタヌキワナ
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1069
2015-05-14T10:03:09Z
2015-05-14T10:04:26Z
ホワリと桃色の花が開いた。 昼咲き桃色月見草。 土質によって花の色がだいぶ変わ...
caferoman
ホワリと桃色の花が開いた。
昼咲き桃色月見草。
土質によって花の色がだいぶ変わるようです。
この株を取ってきた道端では、もっと濃いピンクの花でしたが、
ウチに根付くと淡い桃色になった。
月見草はいったん根付くと、どんどん増えていきます。
しかし、ウチのウラ庭に最近タヌキが出没するようになって、
そいつが刈った草の下の土を掘り起こすので困る。
まだ小さな野菜苗の周りを踏んづけたり、なぎ倒したりする。
だから、せっかく植えた苗がダメになってしまう。
この暴挙はちょっと許し難いので、対処することにした。
で、タヌキワナを作ってみました。
どうやって作ろうかなと考えていた時に、ちょうど目についたのが、お買い物カゴ。
これを使えば簡単にできそうだと思って、作り始めてはみたが、
跡で冷静に考えてみると、ちょっとサイズが小さい。
タヌキというのは、猫よりひと回り大きいぐらいだから、
まぁ入れなくはないし、持ち運び用にはこれぐらいで丁度いいのだけれど、
「どうぞいらっしゃい」のワナにしては、やっぱりちょっと小さい。
でも、まぁいいや。
このあたりのタヌキなら、たぶんワナ慣れはしていないだろうから、
多少小さかろうが、エサにつられてそのうちまんまと掛かるでしょう。
エサはといえば、
この辺りは野良猫が多いので、これに猫でも掛かれば面倒だからと思って、
サツマイモとかニンジンとか、煮豆とかの野菜系にしてみました。
しかし、実際にタヌキがワナに掛かってしまったら、
これをどうしようかという問題が残る。
このあたりの何を食ってるかわからない雑食のタヌキは、私もあまり食べたくはないし、
殺処分というのも、自ら手を下すのは若干気が引ける。
それで、風呂に浸かりながら考えた。
「そうだ、山に持って行って逃してあげよう!」
もう、ウチの畑には帰ってくるなよ、ということで。
山に行けば行ったで、タヌキ同士の熾烈な縄張り争いにもなるだろうが、
それは新たな試練ということで、
タヌキくん、生きてさえいればいいこともあるよ。
と、捕らぬ狸の皮算用。
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方丈記と大地震
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1068
2015-04-26T13:00:52Z
2015-05-14T04:05:46Z
タイムの小花。 今日はネパールが地震でたいへんな被害が出ているようです。 或は...
caferoman
タイムの小花。
今日はネパールが地震でたいへんな被害が出ているようです。
或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。
たまたま「方丈記」を見ていたら、ここにも大地震の記述がありました。
山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。
土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、
なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。
いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。
或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。
地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。
家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。
羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。
おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。
その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、
ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、
俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、
二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、
聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。
子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。
かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。
よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。
余震が激しいことまで書かれています。
これは1185年の文治地震。
地震の被害は畿内付近にとどまらず、石見、隠岐、安芸、伊予、土佐以西、
また相模以東、上野以北の遠国にも及ぶ巨大地震であったと推定される。
つまり、それはかつての南海トラフ巨大地震だったんじゃないかという説もあります。
方丈記の無常観は、こんな大地震を体験したところからきているのかもしれません。
スパラキシス(スイセンアヤメ)は、赤い花と白い花があるのだけれど、
赤い花の方がが先に開くんだよね。
方丈記というのは、
そもそも、終の棲家の「方丈庵」を調べようと思ったのでした。
その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。
(広さが約3m四方で、高さが2mちょっとか。)
所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。
(とりあえず、だから基礎を打ってないのね。)
土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。
(簡単に屋根を葺いて、材木は掛け金で止めただけ。)
もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。
(嫌になったら、いつでもバラして移動できるようにと。)
そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。
(もう一度作り直す時にも簡単でしょ。)
積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。
(大八車が2台あれば全て片付きます。)
いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、
(南側には仮の庇を出して竹の簀の子を敷き、)
その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、
落日をうけて、眉間のひかりとす。
(西に閼伽棚を作って、阿弥陀像を掛けると、そこに西日が差して眉間がひかるよう。)
かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。
(とびらには普賢と不動尊像。)
北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。
すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。
(北の障子の上には、小さな棚をつけて、皮のつづらや、楽譜や本などを置き、)
傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。
(その脇に、琴(折りたためる!)と琵琶(柄が取り外せる!)を立たせている。)
東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。
(わらびと藁を敷物にして寝床とする。)
東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。
これを柴折りくぶるよすがとす。
(東に窓を開けて机を置き、炊事もそのあたりで。)
庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。
すなはちもろもろの藥草をうゑたり。
(北には少しばかりの土地を垣で囲って薬草を植える。)
かりの庵のありさまかくのごとし。
(まぁ、そんな感じの小屋。)
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タカサゴユリが咲いた。
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1067
2015-04-17T05:09:45Z
2015-04-17T05:14:36Z
ここ2日ほど、馬鹿みたいに風が吹いた。 一日中変な方向で吹いてたから、煙が逆流...
caferoman
ここ2日ほど、馬鹿みたいに風が吹いた。
一日中変な方向で吹いてたから、煙が逆流してストーブもつけられなかった。
海岸端だから特にひどいんだろうけど、
春一番だとか、二番だとか、笑ってられないよ。
タカサゴユリって、だいたい7月か8月頃に咲く花なのに、狂い咲き。
狂い咲きっていうのはきっと昔からあるのだろうけど、
何だかいろんなところが壊れかけていて、あちこちボロが出てきているような気がするよ。
ちょっと変だね、っていうことがあんまり増えてくるとね。
そういう変な日常にだんだん慣れてしまって、いつの間にかそれが当たり前になってしまう。
いわゆる、既成事実の積み重ね、ってやつですね。
そういうのにからきし弱くて、何ともだらしないところが大衆の哀しさです。
悪いヤツらは、そういう凡人の弱みを巧みに利用して、
というか、
そういう茶番劇みたいな事をあからさまにやられているのに、
TV番組みたいに思わされて、他人事なんでしょうね。
原発も総背番号制もTPPも戦争も。
大衆は文句すら言わず、無抵抗なままで、というか、
自分たちのことだとは気づかないから、いいようにされるがまま、というか。
日々まじめに働いて、稼いだ分をどんどん使って、
ボーっと日々を過ごしながら、ただ粛々と押し切られていって、
気がついた時には、もう土俵の外に追いやられていて、
中では悪いヤツらがやりたい放題。
そんなからくりの世の中に向かっているようです。
気を確かに持っておかないと、
日頃から、嫌なことははっきり嫌だと言うようにしておかないと、
ほらほら、知らないうちに総替えされちゃいますよ。]]>
アメリカの歌
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1066
2015-04-14T05:11:51Z
2015-04-14T05:33:19Z
イチゴの花が咲いた。 それでもまだどんよりとした冬空で、時折雨が降り、冷たい風...
caferoman
イチゴの花が咲いた。
それでもまだどんよりとした冬空で、時折雨が降り、冷たい風が吹いている。
いつまでも冬のストーブにあたりながら、
物憂げなサイモンの歌がずっと耳から離れない。
救いようのないブルースだけど、アメリカの第二の国歌なんだとか。
辛いねぇ、早くそんなところ抜け出さなくちゃ。
でも、この抜け道のない痺れた感じに浸っていたい日もあるんだよね。
アメリカの歌
今までつまんないことばっかりやってきたなぁって、自分でも思うよ。
どうしようもないね。
もうどうにでもなりやがれって、何回思ったか。ほんと、とんでもないことばっかり。
でも、まぁいいや。仕方ないね。何かもう、芯から疲れちゃった。
考えたってどうしようもないしね。今さら陽気に明るくったって、できないよ。
何か遠くまで来ちゃったなぁって、そんな感じ。
だって世の中、嫌なことばっかり。
気のいい友だちなんて、会ったことないし。
夢みたいなこと考えても、誰も相手にしてくれないし、どうせうまくなんかいかない。
でも、まぁいいや。今までこれで何とかやってきたんだから。
どっちの道が正しいか、なんて、
どっちを選んだって、結局たいした違いはないよ。
この間、自分が死んじゃった夢を見たよ。
抜けた魂がふわーって浮き上がってね。
自分のことを見下ろして、おいおいしっかりしろよって笑ってんだ。
それからぐんぐん昇って行って、高い空をすーって飛ぶんだ。
そうしたら、急に視界が開けてね、自由の女神が現れた。
そうやって、海の上を飛んで行くんだ。そんな夢だった。
僕らは、メイフラワーっていう船に乗って、ここまで来た。
それから、宇宙船に乗って、お月さんにまで行った。
そのうち、こんな訳の分からない世の中になっちまって。
今、アメリカの歌なんか歌ってる。
でも、これでいいんだよね。世の中なんてこんなもんさ。
だって、神様にお願いしたって、どうにもならないんだから。
さぁ、明日も仕事。また頑張って稼がなくちゃね。
だから、ちょっと休ませて。今はそれだけ。
もう、ちょっと横になるよ。
American Tune
Many's the time I've been mistaken And many times confused
Yes, and often felt forsaken And certainly misused
Oh but I'm all right, I'm all right I'm just weary to my bones
Still, you don't expect to be Bright and bon vivant
So far away from home, so far away from home
And I don't know a soul who's not been battered
I don't have a friend who feels at ease
I don't know a dream that's not been shattered Or driven to its knees
Oh but it's all right, it's all right For We've lived so well so long
Still, when I think of the road We're traveling on
I wonder what go wrong I can't help it, I wonder what go wrong
And I dreamed I was dying And I dreamed that my soul rose unexpectedly
And looking back down at me Smiled reassuringly
And I dreamed I was flying And high above my eyes could clearly see
The Statue of Liberty Sailing away to sea
And I dreamed I was flying
We come on the ship they call the Mayflower
We come on the ship that sailed the moon
We come in the ages most uncertain hours And sing an American tune
Oh but it's all right, it's all right, it's all right
You can't be forever blessed
Still, tomorrow's going to be another working day
And I'm trying to get some rest That's all I'm trying to get some rest
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ようやく雨が。
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1065
2015-04-07T08:45:35Z
2015-04-07T08:47:01Z
シャガの花。 しばらく降り続いた春の雨。 午後になってようやく止んだようです。...
caferoman
シャガの花。
しばらく降り続いた春の雨。
午後になってようやく止んだようです。
雨の降る日は外にも出れず、特にすることもなく、
ウラの引き戸を開けては、まだ降ってるなぁと思って、
庭先ばかり眺めていました。
確かに春の雨は慈雨。
もう「万物を潤し育てる雨」って感じで、
ここ数日で、あれよあれよという間に草木がぐんぐん育ちます。
見るたびに育っているのがわかるんですね。
あらゆる草が伸びるし、木の芽は出るし、若葉も開くし、花も咲く。
シバザクラ。
少し晴れたので、畑に出て草を取る。
コマツナやコブタカナが、黄色や白の花を咲かせています。
12日は統一地方選の投票日。
田舎は人も歩いていないのに、選挙カーだけがやかましい。
くだらない名前の連呼、この時ばかり「ご挨拶に参りました」。
「ご声援ありがとうございます」って、誰も応援なんかしちゃいない。
いくら選挙運動の常道だからといって、
何かこういう、時代錯誤的な迷惑行為を、
もう原発が吹っ飛んで4年も経つのに、その後始末もできないこの状況下で、
そんなこと、まるでなかったかのように、
恥ずかしげもなく声を張り上げている事自体が信じられない。
そんな神経の持ち主で、
どうせろくに仕事もしない田舎の立候補者に、
それでもその中の誰かに投票しなくちゃいけないという、
選挙権を行使しなくちゃという、
何てどうしようもなく腐りきった民主主義。
まぁ、知らず知らずそんな政治家ばかりを育て、
いつの間にかこんな国にしてしまったのは、
あなたや私や、田舎の気のいいおっさんたちには違いないですが。
難しいことは考えようとせず、テレビや新聞の言うことだけを鵜呑みにして、
日々まじめに働き、稼いだ分だけせっせと消費活動に励み、
目の前の、自分たちだけが、楽で便利で健康ならいいという、
大多数の愚かな国民です。
でもさ、日本人そろそろ変わんなきゃね。
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反芻
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1064
2015-04-01T11:14:55Z
2015-04-01T11:16:37Z
ウシとかヤギとかヒツジとかシカなんかは、反芻動物だと言われます。 反芻って、一...
caferoman
ウシとかヤギとかヒツジとかシカなんかは、反芻動物だと言われます。
反芻って、一度食べたものをまた胃から戻して、
いつもクチャクチャやっているので、
それは、リスがほっぺたにエサをたくさん貯めて、
後でゆっくり食べる、みたいなものなんだろうと思っていました。
しかし、本当はどちらもちょっと違うみたいですね。
まず、リスはいつエサにありつけるかわからないので、
見つけた時にはとにかくたくさん確保しておく必要があります。
したがって、エサを見つけた時には、持てるだけ持つ代わりに、
ほほ袋に詰め込めるだけ詰め込むということのようです。
そうして家に戻ったら、木の隙間や地面の中などに隠すんですね。
しかし、そうやってても、
自分で隠したところの6割は忘れてしまうというからご愛嬌です。
それで、オニグルミなんかは、
そうやってリスに遠くに運ばれて、隠し忘れたところから芽を出す、
ということを、あらかじめ想定した種の形になっている、
というんだから、自然は深い。
で、反芻なんですが、
あれは、食べる時に思いっきり食いだめをしておいて、
後で食べたくなったら、ちょっとずつ胃から出して楽しんでいるんだろう、
いいね、
とか思っていたら、どうもそれは違うようです。
ヤギは、草を食べるから草が栄養になるんだろうと思っていたら、
違うんですね。
草を食べて、胃の中で微生物を増殖させて、その生成物を栄養にしている、
というのが本当のところです。
つまり、微生物が繁殖しやすい草などを胃に取り込んで、
その中で微生物がよく活動できる環境を変わりなく維持すること。
それが、ヤギの「草を食べる」ってことだったんですね。
いったん胃の中に入った食べ物でも、
固いものは丸い塊になってもう一度口へ戻ります。
唾液の中には、共生微生物の成育を促進する成分が含まれているので、
再びよく咀嚼して、唾液と混ぜ、繊維質を細かく砕いてから胃に戻します。
そうすると、
胃の中に共生する微生物(細菌と原生動物、それに菌類)が、
喜んで草を分解・吸収してくれる、という仕組みです。
つまり、
ヤギは、厳密には草食動物ではなく微生物食動物である。
うーん、
草だけで生きられるというのもすごいなぁと思っていましたが、
クチャクチャ反芻しながら、実は結構すごいことをやってるんですね。
何だか自然を片っ端から食い荒らす割には、
自分の糞すら自然に返せない人間の方が、
ずい分と低級な生き物なんじゃないか、という気がしてきました。
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春の風景2
tag:www.caferoman.com,2015:/takunolive//2.1063
2015-03-29T00:58:46Z
2015-03-29T01:01:27Z
今朝起きて、はじめて、 「今日はストーブが要らないかも」と思った。 もう暖房が...
caferoman
今朝起きて、はじめて、
「今日はストーブが要らないかも」と思った。
もう暖房が要らない、と思う体感温度って何度ぐらいなんだろう。
湿度や天気や風の具合なんかでも変わってくるのかもしれない。
ルッコラの十字花が開いた。
まだ3月。もうすぐ4月。
いつもならもう少しストーブが必要なはずだけど、
温暖化が進行しているというでしょうか。
ペチコートも並んで咲きほころぶ。
ソルダムの、ちょっと控えめで可憐な花。
ソラマメの薄紫の花のつぼみ。
そして、今年も桃の花。
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