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2008年5月 7日

引きつ戻しつ

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真夏のような陽射しが続くかと思えば、朝晩が急に冷え込んだり、
春というのは、引きつ戻しつで、コマを進めるものなのだ。
そうして時に雨が降るのも、畑には恵みのようなありがたさ。


春の花が終わった木々に鋏を入れる。
下草をむしったり、絡まるツルを取ってやったり。

長らく放っておかれた木々を見ると、
隣の枝を押し分けたり、踏み越えたり、
どれもこれも、われ先にと陽の当たるところに伸びていく。

そういうのを見ると、木々の品性がよくわかる。


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躑躅というのは、どうも下品なヤツだ。
外から見るときれいに花を咲かせているが、
裏側に回ると、枝という枝がそれぞれ自分のことだけ考えて伸びて、
まったく混乱の極みなのだ。

でも、この季節、あちこちで「つつじ祭り」がある。
あまり知られていないけれど、井田の「高野寺」の風景がいい。
見上げる視界に、様々な色合いの躑躅が広がる。

でも、丸く刈られておさまっているからといって、品性は隠せないぞ(笑)。


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品性は隠せないといったら、伊藤千尋の「反米大陸」という集英社新書。
アメリカという国が民主主義という言葉の陰で、
どれだけひどいことをやってきたか、これからもやろうとしているかがよくわかる。

僕たちはTVや新聞のニュースを見て、何かがわかったような気になったりするけれど、
本当のことは何にも知らされていないのだ。
どこかで作られた歪んだ情報しか目や耳には入ってこないということを、
こういう本を読むと思い知らされる。

911がアメリカのでっちあげだということさえ未だに知らない人がいる。

読む暇がない人は、松岡正剛氏の書評でその一端を垣間見ることができます。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1232.html


何かに目がくらんだ人間のすることは本当につまらない。

誰かが泣いて、誰かが黒い夢を見て、
挙句の果てにみんなが神様に救いを乞うのだ。


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僕はもう、炭を焼いて暮すのもいいかと思っているところです。


2007年5月 6日

惑星を拾った話

津辺の浜を歩いていたら惑星が落ちていた。
提灯みたいに、うまい具合に取っ手があって
これがとっても持ちやすい。

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目の高さにかざしてみると、
なんとまあおもしろい。

生命の海を漂っていた頃には
実にたくさんの生物が寄生していたんだろうねぇ。
それぞれの生活スタイルにちなんだ屋敷跡が
まるでオブジェのように建ち並ぶ。

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ヘビのようにくねくねしたもの、林のようなもの。
亀の手やら、藤壺やら、牡蠣殻、要塞、紅木蓮。
さぞかし賑やかだったんだ。

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貝のお皿におむすびのせて
どこからどこまでが自分の領地だ
この世の涯はいったいどのあたりなんだ

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海の記憶は
もうはるか昔に第六次元磁界に昇華したまま
緑の惑星にこびりついた生命の残骸

2006年9月 2日

おくらいくらサザエ丼

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秋じゃけのハラコをほぐして醤油づけにしたいくら。
さっとゆでて輪切りにしたおくら。
そいでもって、生のさざえを小さく切ってしのばせると、
口の中でこりこり。

おくらいくらのねばねばで、
するっとかっこみたいところを、
さざえのこりこりが邪魔をする。
仕方なくこりこり噛むと、口の中に磯のかおり。

この取り合わせが、ミシンとこうもり傘の出会いみたいで、
なかなかいいんでないかい。