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2015年6月21日

自然農って、つまりサイクルの短い焼畑農業なんだ。

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山に暮らした人たちは、昔からよく「焼畑」をやってきたという。
宮本常一の本にもよく出てくるけれど、
たいていは焼き払って農地にして、
その後作物が取れなくなるから放置して移動する。
山が荒れて困る、という話。

施肥を行わないので、だいたい3年から4~5年で地力が低下して、
農地として使いものにならなくなってしまうのだそうです。

そうなんだよね。
これ普通の畑でも同じことで、無農薬は当然のこととして、
不耕起・無肥料でやっていると、だいたい3年目くらいから目立って野菜が育たなくなる。
田の場合は、たぶん夏季に潅水したりする関係で多少長持ちはするけれど、
それでも4~5年でかなり地力が低下してくる。

このことを「不耕起・無肥料・無農薬」という共通項で考えると、
あれ?
これはひょっとして焼畑とか自然農とかというよりも、
単に「地力」というか、「地の回復力」の問題ななんじゃないかと、
そう思い至ったのでした。

焼畑農業というものも、本来は、
「作物の栽培後に農地を一定期間放置して地力を回復させる」循環的な農業である、と。
その回復力は土地によって様々で、5年で戻るところもあれば、10年、20年かかるところもある。
それは長い目で見れば「農地と森林の輪作」であり、持続可能な農業である、と。

・日本ではヒエ・アワ・ソバ・ダイズ・アズキを中心に、ムギ・サトイモ・ダイコンなど
 も加えた雑穀栽培型の焼畑農業が一般的。
・耕作期間は3- 5年で、その後15- 20年間放置し、地力を回復させる。
とある。

なるほど。
基本的な考え方は自然農とたいした違いはないんだ。

しかし、こちらは山じゃなくて常畑。
同様に区画割りして輪作していけば、多少は長持ちしますが、
それでもやっぱり短期間の輪作には無理が生じてきます。

無肥料で栽培を続けていると、3年目を過ぎたあたりからうまく育たない野菜が出てくる。

タマネギ、ジャガイモ、サツマイモなんかは実が全然大きくならない。
ラッカセイもだめ。
ナス、キュウリ、トマトも、苗から植えてもひょろひょろして、やがて消えてしまう。
ダイコンも太らない。ハクサイも巻かない。
ズッキーニやカボチャなんかも、どうも自家受粉ができなくなるようです。

何とか育つのが、ささげやえんどう、大豆などの豆類。
それに、のらぼう菜や小松菜、春菊など一部の葉物ぐらいになります。
田でも、やっぱり3年目ぐらいから、裏作に蒔く麦が目立って育たなくなってきました。


自然農の川口さんのところでは、「無肥料」と言います。

確かに化学肥料や、牛ふん・鶏糞、発酵させた堆肥などは使っていません。
(本来なら、人糞は畑に戻すべきだとは言っておられましたが・・)
その代わり、「米ヌカ」や「油カス」などを適時施しています。
「持ち出さず、持ち込まず」が原則ですが、
ただ畝で取った草をそこに被せてるだけじゃないんですね。

川口さんは、これを「肥料」とは言わず、「補い」と言います。

どこが違うんだろうと、ずっと思っていました。
米ヌカや油カスには、結局「チッ素・リン酸・カリ」などがバランスよく含まれているのであって、
これが足りなくなっているから、「補い」をしないと作物も育たなくなる。

しかし、それをあえて「肥料」と言わず、「補い」というのは、どういうことだろう。
考えてみるに、つまり地力の、
どの状態を自然のゼロ地点に据えるか、という問題なのだろうと思いました。

例えば、山を拓いて焼いて、初めて種を蒔く時の状態。
そして、3年もそこで栽培して、その後5年、10年、15年かけて元の森に戻して、
再度、その森を拓いて焼いて、再び種を蒔く時の状態。

それを地力のゼロバランスの状態だとしたら、
短いサイクルで同じ土地を利用し続けるためには、
栽培・収穫で地力を使い果たしてしまうことは避けなくちゃいけない。
そのゼロバランスの状態を維持するための「補い」である、と。

できるだけ多く、できるだけ大きく、できるだけ早く、と欲望のままに施肥を行うと、
それはすなわち、「肥料」という「貪り」になる。

自然農の作物は、虫害や病気にあうことはほとんどないですが、
必要以上の「肥料」を入れた時には、途端に虫が寄りつき、様々な病気にやられ始めます。
だから、慣行農法の畑はほとんど農薬と肥料にまみれることになります。


焼畑の場合は、腐葉土が天然の肥料となるし、
森は焼いても、次の森林が速やかに回復するように、根はちゃんと生かしておくのだそうです。

しかし、焼畑と違い、限られた土地で、10年も20年も放置できない常畑なら、
栽培・収穫後は、できるだけ短いサイクルで地力を回復させ、
常にゼロバランスの状態を維持できるように努める必要があります。

常畑にあって、その「休耕放置」と「補い」をどのように行っていくべきか。
そのさじ加減こそが、
自然農を本来の持続可能な循環型農業に仕立てるキモなんだろうな。

そう思った。

2015年6月17日

岩国のおばあちゃんの話

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宮本常一「なつかしい話」より


「それは私、山の中で、岩国のずっと奥の方の山中だったんですが、
村の中一軒一軒をずうっと訪ねて話を聞いたことがあった。
そうしたら八十六か七になるおばあちゃんが、たった一人で暮らしている。
それも行ってみるっていうと、それこそ気の毒なような小屋で暮らしている。
どうしてこんな小屋で暮らしているのかって聞いたら、
洪水で山崩れがあって、その谷の口にあった家がつぶされてしまったという。
子どもはおるんです、岩国の方に。
子どもたちは、岩国へ来なさい、いやわたしはいやだ、という。
それで家がつぶれてしまっても、ここにおるんだといったら、
村の人がとにかく古い納屋を解いて、持ってきてくれた。そして建てた。
そこに住んでるんですがね、一人で。
そのおばあちゃんは、鎌が一丁と、鍬が一丁、あと石臼がある。それで暮らしている。
それが全く最敬礼したんですが、流された土をね、もう一ぺん拓いて畑にしましてね、
そこで野菜をつくっている。
その野菜はね、とにかく一月に一ぺんか二遍ずつ来る岩国の子に、
手土産に持たせるために作っているんです。
それから隣近所に世話になりましょう。その世話になってる人にその野菜を配る。
それでメシ、食べられるんですなあ。
鍬一丁のもつ生産力に感心したのです。二丁必要ないんですわね。
けっして貧しいから一丁ではなくて、自分で使いこなせるのはこれ一丁でいいと。
草が生えたら鎌で刈りゃいい。
自分ではもう研ぐ力がない、八十六にもなりますとね。
刃が丸まって切れんのだと言うと、近所の人がみんな研いでくれる。
夜になると電灯もつかない。電灯は要らないという。早う寝るんだから。
外から見ると、じつにその人の生活というものは、陰惨で、時代遅れでと思うんですが、
ご本人自身の中へ立ち入ってみますとね、それは実に豊かなんですわな。
なんら困ることはないんですね。
そしてわずかばかり小麦を作ると、自分で臼でひいて粉にして、団子こしらえているんです。
とにかくこんな生活しておっても、乞食はしておりません、
岩国へ行って子どものところで、こんな生活ができますか、
そこへ行けば隣近所というものがあって、ポツンとしていなければならない、
そんな生活はたえられない、という。
いったい、いつまでそれをなさっているんですかと聞いたら、死ぬまでやりますと。
そういう生活のたて方というものがあったんです。
それをね、上の方から見ると、年寄りを一人でおいてくということになるんでしょうが、
じっさい問題はそうじゃない。
そうやっていくことで生きがいを感じているのです。
それがほんとうの姿ではないだろうか。」


これに、作家の山崎朋子がこう応じてるんですね。


「私が、二年位前ですか、アメリカの西海岸、
先生の出身地の瀬戸内の人もどんどん移民して渡ったところですけれど、
そこに一世のおじいさん、おばあさんを訪ねて歩きましたら、
なんと一人暮らしの人が実に多いんですね。
それをどこだかの新聞に書きましたら、投書がたくさんきましたのを見て、
私がとても妙な思いがしたのは、あんな淋しい、かわいそうな暮らしをしてお気の毒だ、
アメリカでご苦労があったのに、せめて晩年ぐらいはもっと大切にされてもいいじゃないか
と言うものが圧倒的に多かったことです。

・・・ところがそういう手紙を下さった人たち、かなり年輩の老人層も多かったんです。
で、私こんどは逆にお返事を出して、
失礼ですがあなたはどういう生活をしてらっしゃったかと、特に女の方に伺ったのです。
そうしたら、そこで一つ分かりましてね、それはサラリーマン層のかみさんですね。
夫に養われて、都市の会社員の妻としてずっと生きてきて、
六十、七十歳をむかえた人たちは、
やはりそういう一人暮らしは果てもない恐い世界なんです。
ところが私どものばあさまだとか、
要するに自分の食べるぐらいは、戸主とか家の代表者の名前はともあれ、
自分だって一人前の働きをしなければ女として一人前に扱われなかった人たちですからね、
家事育児だけですごす女はひと昔前までは役立たずで三行半ですからね。
一人前の女の働きをして生きてきた女の人たちというのは、
自分の裁量で自分一人生きるということに
余人が考える程怖れも違和感も感じてないということなんです。」


 

こういうのを読むと、
昨今の「都市から地方への高齢者の移住推進」という地方創生の議論が、
まったく数字合わせだけの机上の空論だということがはっきりわかりますね。

ま、都市の高齢者は男も女も「役立たずの三行半」なんだから、
姥捨山のつもりで地方に追いやりたい、という意見がまかり通るようになってきたのでしょう。

しかしあれですね。
そういう口車に乗せられて地方に移住でもしようかっていう高齢者は、
やっぱり小金持ちな上に、年金を食いつくす団塊の世代の人たちなんでしょう。

だとしたら、
地方に招くにあたっては、まずその年金の返上と財産没収が条件だね。
それと、生涯の労働奉仕。

それこそ僻地に住むばあさんやじいさんに、
草の取り方から野菜の作り方、季節の過ごし方をいちいち一から教えてもらうといい。
人間としての生活力の差を生身の心身で感じてもらわないとね。

うん、それならいいかも。

僻地に移住してまで、都市と同じような生活スタイルを維持しようと思っても、
そうは問屋がおろさない、
ということをはっきり覚悟して来てもらわないとね。

いいね。
日本の再生というのは、
実際そういうところから始まるんじゃないかと思う。

子どもの教育が問題なのじゃなくて、
自分の保身にだけかまけて結果的にこういう社会を築いてきて、
無事定年退職を迎えた輩の方が問題なのだと思う。
一番たちの悪い「無作為の作為」を地で生きた人たち。

だからこそ、そこでリタイアじゃなくて、
そこからもう一度生まれ変われるチャンスを設けてあげるのがいい。
介護も必要だけれど、
介護に頼らず、一人ででも生きていける強い身体と心を鍛える方が重要だよね。

これから90も100も生きるような高齢化社会なら、
こういうリボーンの施策こそ本来の社会福祉なんじゃないかと。

2015年6月 1日

オリーブの花が開いた。

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去年もこんな蕾がついてたけど、その後は特に何もなし。
花が咲いたんだから、実がなればいいのになぁ。
でも、1本じゃだめなのかもしれない。

オリーブは意外と挿し木でつくみたいなので、
ちょっと違う種類の木があれば、挿し木してあげればいいんだよね。
もう少し広い土地があればそうしたい。


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チコリは今年もオノレ生えで花が咲いた。
ハローアゲイン。


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ワサビ菜にも花が咲いた。
これで次の種が取れます。

今、のらぼう菜や小松菜やこぶ高菜が縦横無尽に枝を伸ばして、
その先の種がふくらんで重たくなって垂れ下がってきています。
春菊もそろそろ花が終わって種になってきています。

1本で種はたくさんできるから間引けばいいのだけれど、
菜の花がきれいだし、その後の種がふくらんで色づいてくるのを、
どうも途中で引っこ抜けないんだよね。
だから、次の夏野菜の種が蒔けなくて困る。

種に必要なものを少しだけ残して、さっさと片付けちゃえばいいのだけれど、
どうもできないんだよね。
どうせ種が袋にいっぱいになって、後は抜いて畑に戻すだけなんだけどね。

だから、今年も種だけはいっぱいできます。

本当は種まで残して放置しておく畝と、
次の季節の種が蒔ける畝が別にあるといいんだけど。
もう少し広い土地があればそうしたい。

今日から6月。