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2015年4月26日

方丈記と大地震

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タイムの小花。
今日はネパールが地震でたいへんな被害が出ているようです。

或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。

たまたま「方丈記」を見ていたら、ここにも大地震の記述がありました。

山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。
土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、
なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。
いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。
或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。
地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。
家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。
羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。
おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。
その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、
ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、
俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、
二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、
聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。
子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。
かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。
よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。

余震が激しいことまで書かれています。
これは1185年の文治地震。
地震の被害は畿内付近にとどまらず、石見、隠岐、安芸、伊予、土佐以西、
また相模以東、上野以北の遠国にも及ぶ巨大地震であったと推定される。

つまり、それはかつての南海トラフ巨大地震だったんじゃないかという説もあります。


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方丈記の無常観は、こんな大地震を体験したところからきているのかもしれません。

スパラキシス(スイセンアヤメ)は、赤い花と白い花があるのだけれど、
赤い花の方がが先に開くんだよね。

方丈記というのは、
そもそも、終の棲家の「方丈庵」を調べようと思ったのでした。

その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。
(広さが約3m四方で、高さが2mちょっとか。)
所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。
(とりあえず、だから基礎を打ってないのね。)
土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。
(簡単に屋根を葺いて、材木は掛け金で止めただけ。)
もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。
(嫌になったら、いつでもバラして移動できるようにと。)
そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。
(もう一度作り直す時にも簡単でしょ。)
積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。
(大八車が2台あれば全て片付きます。)
いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、
(南側には仮の庇を出して竹の簀の子を敷き、)
その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、
落日をうけて、眉間のひかりとす。
(西に閼伽棚を作って、阿弥陀像を掛けると、そこに西日が差して眉間がひかるよう。)
かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。
(とびらには普賢と不動尊像。)
北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。
すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。
(北の障子の上には、小さな棚をつけて、皮のつづらや、楽譜や本などを置き、)
傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。
(その脇に、琴(折りたためる!)と琵琶(柄が取り外せる!)を立たせている。)
東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。
(わらびと藁を敷物にして寝床とする。)
東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。
これを柴折りくぶるよすがとす。
(東に窓を開けて机を置き、炊事もそのあたりで。)
庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。
すなはちもろもろの藥草をうゑたり。
(北には少しばかりの土地を垣で囲って薬草を植える。)
かりの庵のありさまかくのごとし。
(まぁ、そんな感じの小屋。)

2015年4月17日

タカサゴユリが咲いた。

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ここ2日ほど、馬鹿みたいに風が吹いた。
一日中変な方向で吹いてたから、煙が逆流してストーブもつけられなかった。

海岸端だから特にひどいんだろうけど、
春一番だとか、二番だとか、笑ってられないよ。

タカサゴユリって、だいたい7月か8月頃に咲く花なのに、狂い咲き。

狂い咲きっていうのはきっと昔からあるのだろうけど、
何だかいろんなところが壊れかけていて、あちこちボロが出てきているような気がするよ。

ちょっと変だね、っていうことがあんまり増えてくるとね。
そういう変な日常にだんだん慣れてしまって、いつの間にかそれが当たり前になってしまう。

いわゆる、既成事実の積み重ね、ってやつですね。
そういうのにからきし弱くて、何ともだらしないところが大衆の哀しさです。

悪いヤツらは、そういう凡人の弱みを巧みに利用して、
というか、
そういう茶番劇みたいな事をあからさまにやられているのに、
TV番組みたいに思わされて、他人事なんでしょうね。
原発も総背番号制もTPPも戦争も。

大衆は文句すら言わず、無抵抗なままで、というか、
自分たちのことだとは気づかないから、いいようにされるがまま、というか。

日々まじめに働いて、稼いだ分をどんどん使って、
ボーっと日々を過ごしながら、ただ粛々と押し切られていって、
気がついた時には、もう土俵の外に追いやられていて、
中では悪いヤツらがやりたい放題。
そんなからくりの世の中に向かっているようです。

気を確かに持っておかないと、
日頃から、嫌なことははっきり嫌だと言うようにしておかないと、
ほらほら、知らないうちに総替えされちゃいますよ。

2015年4月14日

アメリカの歌

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イチゴの花が咲いた。

それでもまだどんよりとした冬空で、時折雨が降り、冷たい風が吹いている。
いつまでも冬のストーブにあたりながら、
物憂げなサイモンの歌がずっと耳から離れない。

救いようのないブルースだけど、アメリカの第二の国歌なんだとか。
辛いねぇ、早くそんなところ抜け出さなくちゃ。

でも、この抜け道のない痺れた感じに浸っていたい日もあるんだよね。

 

アメリカの歌

今までつまんないことばっかりやってきたなぁって、自分でも思うよ。
どうしようもないね。
もうどうにでもなりやがれって、何回思ったか。ほんと、とんでもないことばっかり。
でも、まぁいいや。仕方ないね。何かもう、芯から疲れちゃった。
考えたってどうしようもないしね。今さら陽気に明るくったって、できないよ。
何か遠くまで来ちゃったなぁって、そんな感じ。

だって世の中、嫌なことばっかり。
気のいい友だちなんて、会ったことないし。
夢みたいなこと考えても、誰も相手にしてくれないし、どうせうまくなんかいかない。
でも、まぁいいや。今までこれで何とかやってきたんだから。
どっちの道が正しいか、なんて、
どっちを選んだって、結局たいした違いはないよ。

この間、自分が死んじゃった夢を見たよ。
抜けた魂がふわーって浮き上がってね。
自分のことを見下ろして、おいおいしっかりしろよって笑ってんだ。
それからぐんぐん昇って行って、高い空をすーって飛ぶんだ。
そうしたら、急に視界が開けてね、自由の女神が現れた。
そうやって、海の上を飛んで行くんだ。そんな夢だった。

僕らは、メイフラワーっていう船に乗って、ここまで来た。
それから、宇宙船に乗って、お月さんにまで行った。
そのうち、こんな訳の分からない世の中になっちまって。
今、アメリカの歌なんか歌ってる。
でも、これでいいんだよね。世の中なんてこんなもんさ。
だって、神様にお願いしたって、どうにもならないんだから。
さぁ、明日も仕事。また頑張って稼がなくちゃね。
だから、ちょっと休ませて。今はそれだけ。
もう、ちょっと横になるよ。

 
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American Tune

Many's the time I've been mistaken  And many times confused
Yes, and often felt forsaken And certainly misused
Oh but I'm all right, I'm all right I'm just weary to my bones
Still, you don't expect to be Bright and bon vivant
So far away from home, so far away from home

And I don't know a soul who's not been battered
I don't have a friend who feels at ease
I don't know a dream that's not been shattered Or driven to its knees
Oh but it's all right, it's all right For We've lived so well so long
Still, when I think of the road We're traveling on
I wonder what go wrong I can't help it, I wonder what go wrong

And I dreamed I was dying And I dreamed that my soul rose unexpectedly
And looking back down at me Smiled reassuringly
And I dreamed I was flying And high above my eyes could clearly see
The Statue of Liberty Sailing away to sea
And I dreamed I was flying

We come on the ship they call the Mayflower
We come on the ship that sailed the moon
We come in the ages most uncertain hours And sing an American tune
Oh but it's all right, it's all right, it's all right
You can't be forever blessed
Still, tomorrow's going to be another working day
And I'm trying to get some rest That's all I'm trying to get some rest

2015年4月 7日

ようやく雨が。

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シャガの花。

しばらく降り続いた春の雨。
午後になってようやく止んだようです。

雨の降る日は外にも出れず、特にすることもなく、
ウラの引き戸を開けては、まだ降ってるなぁと思って、
庭先ばかり眺めていました。

確かに春の雨は慈雨。
もう「万物を潤し育てる雨」って感じで、
ここ数日で、あれよあれよという間に草木がぐんぐん育ちます。

見るたびに育っているのがわかるんですね。
あらゆる草が伸びるし、木の芽は出るし、若葉も開くし、花も咲く。


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シバザクラ。

少し晴れたので、畑に出て草を取る。
コマツナやコブタカナが、黄色や白の花を咲かせています。

12日は統一地方選の投票日。
田舎は人も歩いていないのに、選挙カーだけがやかましい。
くだらない名前の連呼、この時ばかり「ご挨拶に参りました」。
「ご声援ありがとうございます」って、誰も応援なんかしちゃいない。

いくら選挙運動の常道だからといって、
何かこういう、時代錯誤的な迷惑行為を、
もう原発が吹っ飛んで4年も経つのに、その後始末もできないこの状況下で、
そんなこと、まるでなかったかのように、
恥ずかしげもなく声を張り上げている事自体が信じられない。

そんな神経の持ち主で、
どうせろくに仕事もしない田舎の立候補者に、
それでもその中の誰かに投票しなくちゃいけないという、
選挙権を行使しなくちゃという、
何てどうしようもなく腐りきった民主主義。

まぁ、知らず知らずそんな政治家ばかりを育て、
いつの間にかこんな国にしてしまったのは、
あなたや私や、田舎の気のいいおっさんたちには違いないですが。

難しいことは考えようとせず、テレビや新聞の言うことだけを鵜呑みにして、
日々まじめに働き、稼いだ分だけせっせと消費活動に励み、
目の前の、自分たちだけが、楽で便利で健康ならいいという、
大多数の愚かな国民です。

でもさ、日本人そろそろ変わんなきゃね。

2015年4月 1日

反芻

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ウシとかヤギとかヒツジとかシカなんかは、反芻動物だと言われます。
反芻って、一度食べたものをまた胃から戻して、
いつもクチャクチャやっているので、
それは、リスがほっぺたにエサをたくさん貯めて、
後でゆっくり食べる、みたいなものなんだろうと思っていました。

しかし、本当はどちらもちょっと違うみたいですね。
まず、リスはいつエサにありつけるかわからないので、
見つけた時にはとにかくたくさん確保しておく必要があります。
したがって、エサを見つけた時には、持てるだけ持つ代わりに、
ほほ袋に詰め込めるだけ詰め込むということのようです。

そうして家に戻ったら、木の隙間や地面の中などに隠すんですね。

しかし、そうやってても、
自分で隠したところの6割は忘れてしまうというからご愛嬌です。
それで、オニグルミなんかは、
そうやってリスに遠くに運ばれて、隠し忘れたところから芽を出す、
ということを、あらかじめ想定した種の形になっている、
というんだから、自然は深い。


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で、反芻なんですが、
あれは、食べる時に思いっきり食いだめをしておいて、
後で食べたくなったら、ちょっとずつ胃から出して楽しんでいるんだろう、
いいね、
とか思っていたら、どうもそれは違うようです。

ヤギは、草を食べるから草が栄養になるんだろうと思っていたら、
違うんですね。
草を食べて、胃の中で微生物を増殖させて、その生成物を栄養にしている、
というのが本当のところです。

つまり、微生物が繁殖しやすい草などを胃に取り込んで、
その中で微生物がよく活動できる環境を変わりなく維持すること。
それが、ヤギの「草を食べる」ってことだったんですね。

いったん胃の中に入った食べ物でも、
固いものは丸い塊になってもう一度口へ戻ります。
唾液の中には、共生微生物の成育を促進する成分が含まれているので、
再びよく咀嚼して、唾液と混ぜ、繊維質を細かく砕いてから胃に戻します。
そうすると、
胃の中に共生する微生物(細菌と原生動物、それに菌類)が、
喜んで草を分解・吸収してくれる、という仕組みです。


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つまり、
ヤギは、厳密には草食動物ではなく微生物食動物である。

うーん、
草だけで生きられるというのもすごいなぁと思っていましたが、
クチャクチャ反芻しながら、実は結構すごいことをやってるんですね。

何だか自然を片っ端から食い荒らす割には、
自分の糞すら自然に返せない人間の方が、
ずい分と低級な生き物なんじゃないか、という気がしてきました。