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2013年11月25日

薪、冬支度。

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昨晩から風が吹き始め、今日はまた雨嵐。
こんなことだろうと思ったから、土曜日には全ての脱穀を終え、
来年のための藁も縛って持ち帰りました。

そして、昨日は薪をいただけるというので、早速軽トラを借りて駆けつけた。
切ったばかりだけれど、今の時期のシイノキなら割って2,3日干せば大丈夫とのこと。
うれしい。
これで2週間ぐらいは持つかなぁ。

まだまだたくさん出るというので、どうやらこの冬はこれで安泰。
感謝です。


 
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冬の暖房は、ほぼストーブだけなので、
毎年ひと冬中くべる大量の薪を確保しなければなりません。
置き場所もあまりないので、シーズン分全量の蓄えはとても無理。
たいていは、冬が近づいてから慌てているキリギリスです。

ウチの周りには木がないので、
山の近くの人や山をを持っている人、大工さんなんかに声をかけておいて、
「木があるよ!」といわれたら、軽トラで取りに行きます。
わざわざストーブ用に短く切って割ってくれている奇特な方もおられれば、
自らチェーンソーで立ち木を伐採に行くこともあります。

でも、これまでの7年間、いつも誰かに木をわけてもらって、無事に冬が過ごせています。
この寒い冬を、ただ人に助けられて、毎年暖かく過ごすことができる。
このぬくもりがことのほか幸せです。


 
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仁摩町龍巌山(たついわやま)のノウゼンカヅラ。

でもまだ、田圃のなだら(稲架掛け)の後がそのままなので、
明日晴れたら、それを片付けに行かないとと思っています。

そうそう、今のうちに冬タイヤの準備もしておかないとね。
今年はカメムシが大量発生しているので大雪だと、誰もが口々に言う。

小笠原諸島では、溶岩が吹き出して新島が生まれているそうです。
こりゃ、いよいよ大地震が近いのかもしれません。
くわばらくわばら。

2013年11月23日

今年の脱穀が終わりました。

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今週後半は珍しく雨が降らなかったけれど、
来週からまた怪しくなってきそうなので、今日脱穀を決行しました。
途中雲行きがちょっと怪しくなったけど何とかスルー。
これにて今年の稲作も終了です。
感謝。

振り返ると2010年、最初の年の脱穀が終了したのが11月24日でした。
ほぼ同じ時期ですね。
播種や田植えの時期が多少前後したところで、
実りの時期はほとんど変わらないということなのかもしれません。

収量としては、30kgの籾袋で反当たり約10俵。
60kgだと5俵だから、慣行農法の6~7割というところでしょうか。
だいたい初年度並みですね。

今回気づいたのは、古代米(ミドリ、黒)の収量が、
現代米(キヌムスメ、コシヒカリ、モチ米)の約半量しか獲れていないということですね。
ただし、初年度の赤米(ベニロマン)は現代米並みの収量が獲れてました。
ノギが長いし、ウルチは味もちょっとパサパサした感じなのですが、
これを改良して現代米を作ってきたというのも、収量という意味ではうなづけます。

ミドリの育ちぶりを見て、
来年はモチはミドリだけにしようと思っていたのですが、
モチ性の赤米もちょっと試してみたい気がしてきました。

ミドリのモチは年末の餅つきが楽しみですが、
収量が倍も違うなら、ちょっと他のも試してみようかと、
つまらぬ欲が出てきたり・・・。

2013年11月21日

イチゴの定植

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久し振りに晴れ間が見えたので、なだらの様子を見に行こうと思ったのですが、
ウラ庭に出たら、ふとイチゴと目が合ってしまった。

そうだよなぁ、アンタも定植してあげないとなぁ。
じゃ、午前中はキミの世話にあてるか。

イチゴというのは、
古い株だとだんだん実が小さくなるのだそうです。
だから、ランナーで伸びた新しい苗に毎年植え替えてあげないといけない。

掘り起こしてみると、
古い株がイモのように太くなっているのが結構あって、
そういうのをいったん掘りあげてから、
ランナーについていた新しい苗を切り離して定植します。

 

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ほとりでは、そら豆くんも元気よく葉を広げています。
彼はこれで冬を越すのです。
どうかがんばってください。


で、イチゴの定植。
午前中で終わるだろうと思っていたのですが、
なんのなんの、やり始めると結構時間がかかってしまって、
結局、あたりが薄暗くなってしまいました。

それでも、あちらこちらに伸びたランナーの整理が追いつきません。

 
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きっと、明日もこの続きをやっていると思うな。

2013年11月19日

いっきに冬。

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海が荒れています。
カモメが港の湾内でプカプカ浮いて避難中。
昨日、夕方あたりから強い風が吹き出して、次第に降る雨にシロイものが混じり始めた。

何と、いきなりのアラレちゃん。
そのうち、大風になって、ピカピカごろごろ。
あー、「雪おこし」というヤツですか。
あられがやがて湿った雪になって、屋根に積もってドサドサと落ちてくる始末。
家もエントツも吹き飛ばされるかのような大嵐。

やれやれ、いっきに冬になってしまいました。

田圃のなだらに干された稲のこと思うと、不憫で可哀想で・・・。
なるべく考えないようにしました。

 

そして、今日も続いて荒れた天気。

それでも明日からはしばらく小康状態のようなので、
今週末あたり、様子を見て脱穀を済ませておこうかと思っています。

しばらく晴れてくれますように!

2013年11月14日

大豆の調整。

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今日はいいお天気だったので、大豆の脱穀の続き。
でも、脱穀し終わったガラの中には、まだ豆がいっぱい入っています。

移動させると豆がぽろぽろ落ちるので、もう充分乾いていると思ったのですが、
全体的には、まだ豆が乾ききらずに柔らかいのが多かったみたいで、
脱穀機にかけても、豆が外れずに鞘ごと飛んでしまうんですね。

大きな納屋があれば広げたままでしばらく放置しておけるのですが、
場所がないから、次々片付けないと次の作業ができません。
もっと、広い作業小屋が欲しいなぁ。

そんなことで、
夜になっても、ひとつひとつ鞘から豆を外しています。

明日からは、カフェの合間にずっとこれをやっていそうな気がします。
ライ麦の調整もまだ残っているというのに。

何を作っても、どうしても手作業が多くなるのでたいへんです。
でもまぁ、こういう単純作業をしながら、
ぼんやりと物思いに耽るのも、なかなかいい時間ですけどね。
 
 

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いい天気なので、
昼間は外に出て作業をしていました。

右手には青空に太陽がさんさんと輝いていて、雲のかたまりを跳ね返しているところです。
暗い雲が次第に左手に押される感じで、
ちょうどその境目あたりがきれいな感じでした。
 

でも、ちょっとよそ見をしている間に、
(ほんのあっという間です)
暗い雲がひと息に巻き返して、太陽は雲の中に消えてしまいました。

ちょっと、びっくり。
きっと誰も見ていなかったので早送りしたのでしょうか。
空の瞬間芸を見過ごしてしまいました。

2013年11月13日

薪割り、大豆の脱穀。

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今日は朝から晴れていました。
どうしようかなぁ、田圃に出ようかな。

田圃に出れば出たで、畦の草刈りやら畝の高低の整地やら、
それなりにいろいろやることはあるのだけれど、
しばらく考えて、今日は家でウチ仕事をやることにしました。

古い薪をもらっていたのですが、
ちょっと虫が入ってたりするので、早く使ってしまいたい。
そのためには、ストーブに入るサイズに切り揃えなくちゃいけない。

ずっとやりたかったのですが、
稲刈りやら何やら、その後は雨が続いて作業ができず、
そうこうするうちに薪のストックが底をついてきたので、
今日はやっぱりやっておかなくちゃいけません。

ということで、午前中は薪づくり。

 
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さて、作った薪は雨に濡れないように薪小屋に入れておこうと思ったのですが、
薪小屋は先日収穫した大豆が枝ごと乾燥中。
これをどかさないことには薪が入れられない。
ちょっと動かすと大豆がポロポロ落ちるので、もう脱穀しないと。

それで、午後からは大豆の脱穀。
最初は大釜に枝を打ちつけて大豆を外していたのですが、
いやぁ、量が多いし、うまく外れなくて、これじゃとても追いつかない。

やっぱり足踏み脱穀機か。

足踏み脱穀機はスグレモノなのだけれど、納屋から引っ張り出すのがちょっと億劫。
だってこ、れすっごく重たいんだもん。
気をつけないと腰をいわしそうなほど重い。

そうか、納屋の中でやればいいんだよ。

ということで、初めて納屋の中に設置。
ブルーシートも大げさに広がらず、この狭さが意外といいかも、でした。

 
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グォノン、グォノンとドラムが回るいい音がします。

脱穀をしていると、途中からポツリポツリと雨が降ってきた。
今日の午後は晴れだったはずでしょ。
でも、よかった。おかげで脱穀機は納屋の中。
少しぐらいの雨は平気です。


しかし、「秋の日は釣瓶落とし」というか、
最後のひと箱を残して夕闇が迫ってきました。
仕方がない、続きは明日。

片付けて納屋の戸を閉める頃には、すっかり雨脚が強くなっていました。

2013年11月12日

麦の播種、藁を返す。

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昨日は天候不順で、結局エンドウの種を蒔いただけで、後はだらだらと過ごしました。
今日も天候不順だけれど、昨日よりはちょっとまし。
思い切って田圃に出ました。

麦の播種です。
次郎にはまだなだらがかかっていますが、今年はここに播くことにします。
まず、ライ麦から。

昨晩もストーブにあたりながら、
一度脱穀した後のライ麦の調整をコツコツやっていました。
麦の穂に少し残ったライ麦がどうにももったいなくて、
一穂一穂、指でつまんでは二粒三粒のライ麦を取る作業。
こんなこと誰もやんないだろうな。

それで、スーパー袋いっぱいになったのを4.5畝蒔いた。

 
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それから、次は大麦。
大麦は麦茶ぐらいにしかならないかと思って作るのをやめていたのだけれど、
麦芽糖というものが作れるというのを知って、
それじゃ、砂糖の代替品になればいいいなと思って、
また作ることにした。

二条大麦は、いわゆるビール麦ですね。
1kgで1.5畝。
麦芽糖は、「麦もやし」といって一度発芽させた麦を乾燥させて使います。
発芽させることによって活性化された酵素アミラーゼが、澱粉を糖化させるんですね。
麦芽はモルトだから、途中まではビールやウィスキーと一緒なんだ。

たくさんできたら、麦みそにもしたい。

 
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それから、最後に強力粉小麦「ゆきちから」。
これは10kgで10畝。
ライ麦以外は、結構肥料を要求するので、ウチではたいてい育ちが悪い。
もうライ麦だけにしょうかと思ったのですが、圃場を変えて、再チャレンジ。

それにしても、今日の天候の変化はナイスタイミングでした。

午前中は曇りだったけれど、朝から風がやや強かったので、
スズメやカラスたちに見られずに播種ができた。

鳥というのは、人が種を播くのを高いところからしっかり見ているんですね。
それで、播き終わって人がいなくなったところを見計らって、
団体でついばみに来ます。
麦はバラ蒔きで、土を被せたりはしませんから、
蒔いたものがほとんど残さずに食べられちゃいます。
一度やられましたから、よく知っています。

でも、今日は大丈夫。

全部蒔き終わったところで、雨がポツリポツリと降ってきました。

お米を脱穀した後の藁は、全部田圃に返すのですが、
蒔いた麦の種を隠すためにも、このタイミングがちょうどいい。

昨日の雨のせいで、藁もいい具合に湿っています。
風の強い日なんか、ばら撒いた藁が風で飛んでしまうことがあるのですが、
湿って少し重たくなっているので、ちょうどいい具合。

そのうえ、ポツリポツリと雨が降ってきたので、撒いた藁が土になじみます。

あんまり降ると、カッパでもちょっと作業が辛いですが、
少しぐらいの雨は、むしろ好都合です。

そうして、藁もほとんど蒔き終わった頃、雨がかなり強くなりました。

いいねぇ。
今日は麦の播種日和。本当にいい具合のお天気でした。

2013年11月 9日

稲刈り終了。

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これが最後のひと株です。
これを刈り終えると、今年の稲刈りも無事終了。
先月の16日から始めたので、3週間とちょっとかかったことになります。

昨日は、コシヒカリとモチ米の脱穀をしました。
それでコシヒカリを掛けていたなだらが空いたので、
そこにミドリ米と黒米を掛け換えました。

 
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これは、一時掛ける場所がなくて、
とりあえず空いている柱に稲を引っ掛けておいたもの。
何だか中国の獅子みたいです。

 
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田圃にはすっかり稲がなくなったので、
スズメたちは、今度はなだらにへばりついて食べているようです。
周囲にテグスを張りめぐらそうかとも思ったのですが、
まぁ、いいや、見て見ぬふり。

来週からは、天気の様子を見ながら麦の播種です。
大麦、小麦、ライ麦。
お米の裏作は初めてなのですが、
田植えと時期が重ならないように、
ライ麦は、次郎の一番最後の畝の方に植えてみようかと思っています。

 
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2013年11月 8日

「ベーシックインカム(生活基本金)と地域通貨」

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「ちゃとした暮らし」について、これまでブログ6回分書いてきました。

第一回 「ちゃんとしたもの」に囲まれた暮らし。
第二回 「農的暮らしのグラウンドデザイン」
第三回 「まちぐるみでの自給自足」
第四回 「衣食インフラ」
第五回 「住環境インフラ」 - 家と水とエネルギー
第六回 「物々交換市」とシェア

今回が7回目で、これでひとまず終わりです。

あんまりくどくどと書いても要点がぼやけてしまうので、
とりあえずいろんな前提条件を端折って書いてみました。

自分たちでやれることを、ただ自分たちで楽しむだけなら、
それは気の合う仲間うちで、どこか山の中のいい場所を見つけて、
そこで自分たちの理想を追って、楽しい暮らしをしていればいいのだけれど。

別に隠遁生活がしたいわけじゃなくて、
もっと何というか、オープンで、新たな生活スタイルとして伝播していくような、
社会性のあるムーブメントにできないかと思うのです。

 
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何故そうなのかと考えると、
やっぱり世の中がちょっとおかしな方向に傾き始めたからでしょうか。

資本主義経済というのは、
泳ぎ続けないと死んでしまうマグロみたいなものだから、
お金の流れが滞ると途端に破綻してしまう。
とにかく大量にモノを製造して、大量に消費して、大量に廃棄してもらわないと、
成り立っていかない構造です。

でも、そんなこといつまでも続けられない。
社会のいたるところでひずみが起きています。
そんな社会の歯車となっているから、みな心身ともに病んでいます。
もういい加減限界です。

しかし、それでもやめられないのが、今の大企業であり政府の姿です。
もう、モラルとか子どもの将来の健康被害とか、
そんなものを無視してでも、自分の生命維持装置だけははずせない。
きっと、死んだって手放さない覚悟ができているんじゃないかと思います。


そんなものに、いつまでもつきあっていられないでしょ。


エコや自然食品にお金を使うのは、いい趣味かもしれませんが、
かたや「生活のために」といって、消費経済にしっかり加担しておきながら、
かたや「足るを知る生活」と言ってみたところで、
まったくどうしようもない。


以前ブログにも書きましたが、
私にとっては、「生活を言い訳にしない」という言葉が唯一の踏み絵というか、
譲れない信条だと思っています。

 
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それでも、「生活のために必要な最低限の現金」。

その役割を担えるのが、
「ベーシックインカム(生活基本金)」じゃないかと考えます。

ベーシックインカムというのは、
「政府がすべての国民に対して、最低限の生活に必要な額を無条件に給付する」
という制度です。

今の日本のように、
大企業には便宜を図り、一般市民からは搾取するような状況じゃ、
そんなことは想像もできないけれど、
アメリカでは、1972年の大統領選挙の際にベーシックインカムが争点の一つとなりました。
そしてスイスでは、
今月にもベーシックインカム導入に向けた国民投票が実施されます。

もちろん、ベーシックインカムには、賛否両論様々な意見があります。

しかし、ベーシックインカムが導入されれば、
少なくとも、「生活のために」という言い訳を誰もしなくて済む。
それだけでも画期的なことじゃないかと思います。


スイスの場合は、一人につき毎月28万円。
でも、自給自足の農的暮らしをベースにして、
村(コミュニティ)単位での分かちあいと共有の仕組みを取り入れるなら、
どうしても必要な現金は、毎月5万円もあれば充分ではないかと考えます。

一人につき5万円は、赤ちゃんでも子どもでも5万円なので、
家族が増えるだけ生活基本金も増えます。

住民同士で生産する分野(生活に必須の物品)のバランスを考え、
余剰をうまく分かち合い、
物々交換市で基本的な衣と食が扱えるようになれば、
現金の必要性は限りなく小さくなります。

本来的に考えれば、
生きるために必要な財源は自然が与えてくれているのだから、
それに少し手を加えることで、
今よりもっと心地よい暮らしができるようになる。

そういう発想から、
ベーシックインカムの実現可能性を考えればいいのじゃないかと思います。

 

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しかし、ベーシックインカムといっても、
「働かなくてお金がもらえるなら、こんなうまい話はないぜ。」
あれも買いたいし、これも買いたいし、・・・みたいに、
誰もが古い消費経済の観念を引きずったままじゃどうしようもないですけどね。


だから、国全体に一律に導入するのではなく、
例えば、気心の知れた小さな村(コミュニティ)単位での導入です。

そして、この生活基本金は「地域通貨」にするのがいい。

「地域通貨」というのも、日本じゃ言葉ばかりが先行していて、
実態はお買物割引券のようなものがほとんどのようです。
現行の貨幣経済を前提とするから、
結局は消費振興のためのツールにならざるをえないのです。


 
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例えば、「結(ゆい)」という仕組みは、
田植えや屋根葺きなど、生活のためにみんなで行う相互扶助的な共同作業です。
お互い様ですから、これには貨幣が伴いません。

それでも、「労働力の貸し借り」のような概念があって、
他人に助けられれば、自分もそれに応じて返すことの義務感が伴ったりします。

一番楽なのは、ごく親しい間柄での「分ける、あげる、手伝う、もらう」。
そういう、信頼の上に立った思いやりの関係です。
何の見返りも求めない、本当はそれが理想です。

でも現実的には、お年寄りや身体が思うように動かせない人たちもいて、
一方的にもらってばかりで、他に何もしてあげられない場合もあります。

例えば、物々交換市で、
欲しいものはあるけれど、提供できるものがない。
手伝ってもらいたい仕事があるけれど、
自分は思うように人の手助けができない。

そういう時に使える「地域通貨」があればいいと思うのです。

水道光熱費や公共交通機関、医療費、教育費など、
ここで暮らすために必要なことは、
すべてこの「地域通貨」だけでまかなえるようにします。

この「地域通貨」は、
貯めたり、現行貨幣に換金したりすることはできないけれど、
ここで基本的な生活を維持するためには、必要充分な価値を持ちます。


  
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それでも、消費経済とのつながりが完全に断ち切れるものではありません。
例えば、自分たちで作れない原料や、必要な機械などを調達するには、
現行貨幣を使って外部から仕入れる必要があります。

また、村(コミュニティ)を離れて遠出しようと思えば、
やっぱり現金が必要となります。

だから、もちろん必要なお金を得るために、
各人が村(コミュニティ)外との経済活動を行うのは、まったく自由です。
ここで手作りされた安心できる食品や加工品、衣類は、
それだけで高い付加価値を有するものに違いありません。

要は、村(コミュニティ)内での生活が円滑に維持できればいいのですから。

 

今、持続不可能な社会をまっしぐらに進む日本では、
こんな話はまるで夢物語に過ぎません。

でも、これから増え続ける過疎高齢化の捨てられたような小さな農村からなら、
こういった試みも、あながち非現実な話ではないように思います。
いやむしろ、こういうアナーキーな施策こそ、
日本の起死回生を図る有意義なプロジェクトになるのではないでしょうか。


さて、
どこか本気で「やってみよう」という先進的な地方自治体はないですかね。

ま、なくても自分でやれるところからやっていこうとは思うのだけれど。

2013年11月 6日

太郎、次郎、大豆の収穫。

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太郎のキヌムスメの稲刈りが、今日でようやく終わった。

今ごろ稲刈りをしているのは、この辺りじゃウチぐらいなものだから、
その情報がスズメたちの口から口へと行き渡ったのか、
まだ稲が残る畝に近づくと、そこから4,50羽のスズメがドォーッと飛び立つ。

刈り終わるのが早いか、スズメに食べられるのが早いか。

スズメが食べるぐらい許してあげろよと思うのだが、 
あれだけの数がドォーッと飛び立って、
それで安心して、稲刈りの続きをしている間に、
スズメは空を大きく一周しただけで、また畝に戻って続きを食べている、
そんな様子だから、静かに稲刈りをしてはいても心中穏やかではない。

 
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で、ザックリ、ザックリと穂を刈っていると、
こんな風に地面に稲の茎や葉が散乱しているのに気づきます。

それに、中の入っていない穂や、殻がたくさん落ちています。
明らかに何かに食べられている様子です。

 
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イノシシじゃないし、何だろうかとずっと思っていたのですが、
どうもこれがスズメの仕業じゃないかということです。

ウチの稲はあんまり倒れないから、
スズメだって立ってる穂に掴まっては食べにくいと思うのです。

それで、要領としては、
まず一匹のスズメが1本の穂だけに体重をかけて穂を地面に伏せます。
その曲がった茎のところにもう一匹のスズメが止まり、茎をつついて切断します。
後は地面でゆっくりと、みんなで食べ放題。

そんなところだろうと言っていたのですが、
今日、その証拠を見つけました。

 
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ほら、茎のところがきれいに切断されている。
スズメだからといって、なかなか馬鹿にはできません。

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こちらは次郎。 
先月の16日から刈り始めて、早いのはもう二十日が経ちます。
もうそろそろいいかなぁと思っているのですが、
先週は結構雨の日が続いたので、なかなか微妙なところです。

 
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次郎には、あとミドリ米と黒米が残っています。

キヌムスメを全部刈り終えて、
これでやっとスズメから解放された思ったのも束の間。
振り向くと、ミドリ米からドォーッとスズメが飛び立ちます。

何のことはない。
スズメたちは太郎から次郎に標的を移しただけでした。
やれやれ。

そんなことだから、
引き続き、ミドリ米と黒米の稲刈りにかかろうかと思ったのですが、
如何せん、もう、なだら(稲架掛け)の穂木がないのです。

週間天気はといえば、
どうも日曜日あたりからまた雨になりそうです。
だからそれまでに、コシヒカリとモチ米の脱穀だけはやってしまおうかと思っています。

そうすれば、干す場所も確保できるしね。

 
 
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そんなこんなで、
今日は、太郎を済ませた後に、次郎、三郎の見回りをしていたら、
三郎の大豆がもうほとんど葉を落として茶色くなっていたので、
収穫することにしました。

ひと畝と少しだけだったのですが、刈ってみると結構な量です。
豆だとどれくらいになるかなぁ。
ちょっと本気で植えると、自前の味噌の原料ぐらいできるかもしれない、
と、淡い希望をいだきました。

 
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でも、ちょうど田植えの時期と重なるから、
たくさんの畝に大豆を播種するのは、実際のところちょっと厳しい。

でも畝一面に大豆を植えたら、
その落ち葉も畝一面に落葉していて、
これがとってもいい感じです。

2013年11月 3日

「物々交換市」とシェア

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久しぶりに雨が降りました。

普段、農作業等で外に出ていることも多く、「いつ行っても閉まってる」とかよく言われます。
このあたりは、商店街や観光名所があるわけでもないから、
ウチに来られるお客さんは、
まさにウチに来る目的で、わざわざガソリンを使って車を走らせるわけです。

それは本当に申し訳ないなぁと思うのですが、
あっちを立てればこっちが立たず、
せめて、週末や連休の間だけでもしっかりお店を開けるように努めています。

それでも、朝からパーッと晴れた日には、
あぁ、こんな日に農作業ができたらいいのになぁと、
一日お店にいるのが、すごくもったいない事のように思えたりします。

しかし、これでまた雨が降ったりすると、お客さんの出足も鈍ります。

それでも雨なら、どうせ外での農作業はできないからと、あっさりと諦めもつき、
溜まっていた中(なか)の仕事(脱穀後の麦の調整とか)をしたり、
積んでいた本を崩して読んだりもできるので、まぁそれはそれでいいのですが、
残念ながら、待っていてもなかなかお客さんは来てくれません(笑)。
(ウチに来るなら、雨の日の週末がゆっくりできていですよ!)

稲刈りの方は、あと丸1日あればキヌムスメが全部刈って干せそうです。
その後、最後に残ったミドリ米と黒米をどうしようかと考えています。

実は、なだらの木のがんぐい(支柱)とスケ(支え柱)がもうすぐ尽きてしまいそうで、
残りの稲が全部干せるかどうか微妙なところです。
これは4年目にして初めてのことで、それだけ豊作だと言えなくもないのですが、
足りないものは足りない。

やってみて、どうしても足りなければ、
残った渡しの竹を細工して支えにすれば、何とかならないでもないですが、

それとも、最初に干したコシヒカリとモチ米がそろそろ乾き上がりそうなので、
それを先に脱穀して、その後に干すべきか。
うーん、ちょっと来週の天気の状況も見ながら判断しなければいけません。


 
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さて、前回からの続き。
衣食住の「生活インフラ特定物品」が手分けして整い始めたら、
各自が作ったものを、互いに物々交換できる市を常設します。

「物々交換市」に行けば、さしすせその基本調味料や、
米麦大豆などの穀物、季節の野菜や果物等の食のインフラ特定物品。
基本の衣類等が常に置いてある。

もちろん、それ以外にも卵や肉、魚、牛乳、パン、乾物等の食べ物や、
加工品、嗜好品等を、誰もが自由に出品してもいい。
誰もが、そこに並ぶ欲しいものを、自分が出したものと交換できる。

ここで暮らせば、
そういう衣食の基本的な生活必需品が常に無償で供給されるということ。

しかも、農作物はすべて肥料・農薬不使用の自然農で作られており、
加工品には、化学薬品や保存料、添加物等が一切使われていないという安心感。

そうした常設の「物々交換市」
もう、それがあるだけで、そこに心地よい暮らしが約束されるのではないかと思います。

 
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また、資源の共有ということでは、

・不要物品、書籍等のリサイクル市
・薪、炭ステーション
・種ステーション

などがあればとても便利だし、

そうした常設市以外にも、
各自が自由に看板を上げて、得意な分野で自宅店舗を開設すればいいわけです。

 
 
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それでもどうしても現金が必要となるのは、
日々の生活では、やっぱり家と車でしょうか。

家は、新築しようと思えば、
木を切り出して自分で作るにしても、
その他の材料費だけでもかなりのお金がかかるので、
できるだけ空き家や古民家や廃校等を自分たちで改修して有効利用したり、
シェアハウスにするのがいい。

車も、田舎では農作業やちょっと移動するためにも欠かせない。
代替エネルギーが利用できるようになるまでは高いガソリン代もかかる。
これもシェアカーにするしかない。


後は、教育と病院でしょうか。

教育は、過疎の地方ほど統合が進められ、
わざわざスクールバスを走らせて遠くの学校まで登校させるようになっています。
でも、これってまったくナンセンス。

学校まかせにするのではなく、
基本は、その地域の大人が自分たちの子どもをきちんと教育すればいいのです。

今やどんな過疎地であっても、世の中の最新情報は入手できます。
文科省認定の教科書を使わなければ立派な教育ができないなんてことはありません。
また、大学で教職課程を取得した先生だけが優れた教師であるわけもありません。

本来、子どもの教育はどうあるべきか。

それを考えて理想的なカリキュラムを組むだけでも大仕事になるけれど、
今の学校の現状と比べて一体どうなんだろうと考えれば、
試行錯誤しながらでも、
もっと子どもたちが生きて行くために必要なちゃんとした教育を、
自分たちで組み上げることができるんじゃないかと思います。

テーマさえ決まれば、日本中から最高の人材をピックアップして、
先生として招いて最高の出張授業を依頼することもできます。
常駐の教員を少数でまかない、地元でのワークショップを授業のメインに据えるなら、
後はすべて優れた外部講師の出張旅費と講師料に回せます。


では、病院はどうか。

確かに、時々体調が悪かったり、頭痛がしたり、熱が出ることもあるけれど、
だからといってわざわざ病院に行ったりはしない。
ちょっと静かに休養していれば、そのうちたいがい治ってしまう。

そもそも人間には自己治癒力というものが備わっているのだから、
きちんとした食べ物を食べて、自然に沿った生活をしていれば、
おかしな病気に罹ることなんてめったにないはずです。

それでも、何十年も生きていたら、
様々な市販の食料品や加工品から多くの化学物質を取り込んでいるだろうし、
それでなくても、大気汚染や電磁波や放射能汚染等の複合作用で、
ガンやアレルギーや原因不明の難病に罹ってしまうかもしれない。

でも、そんな病気はそもそも西洋医学の対症療法に頼っても根治しないわけで、
やっぱり正しい食生活を続ける以外に効果的な治療方法なんてなくて、
漢方の適切な処方で自己治癒力を助けるのが最善ではないかと思います。

もちろん、事故で大怪我をしたりすれば、当座の外科的処置が必要だし、
私的には、歯の痛みも、できればすぐに何とかしてもらいたい。
でも、そんな事が年中いつもいつも起きるものでもありません。

にも関わらず、高い健康保険料は毎年いつもいつも支払わなくちゃいけない。
選択の自由もなく、これが理不尽だと思うのです。

望むべくは、優れた漢方医学者が近隣に一人いて、漢方薬専門店があれば充分。
それも頼り切るのではなく、みんなが漢方の知識をシェアして生活ができるなら、
それが一番いいのだと思います。


さて、
そんな風にざっくりと「自給農を基本とした生活環境」をずっと考えてきて、
問題は、それでも「最低限の現金は必要ではないか」というところです。

一足飛びに理想を考えれば、
余剰の分配とシェア、見返りを求めない贈与と労働奉仕が実現できるなら、
一切のお金がなくても、そこでの生活は持続可能です。

完全な地方自治が確立され、
納税や年金、教育、医療保険のシステム等が根本的に見直し可能となれば、
将来は明るいでしょう。

でも、実際には一足飛びにはそこにたどり着けない。
人々の意識も、なかなかそこには追いついていかないだろうと思います。

だとすれば、できるところから、
限定したエリアの、限定した住人から、
できれば先進的な地方自治体とともに、最初は特区のテストモデルとしてでも、
実験的に生活インフラを整えていくしかないでしょうか。

そのつなぎとして考えられるのが、
ベーシックインカム(生活基本金)と地域通貨の導入です。(・・・続く)