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2013年7月17日

期日前投票

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先日、大雨が降った時にyoutubeで三宅洋平の街頭演説のビデオを見た。
 


 

こういうタイプの若者が国政選挙に立候補しようと思う時代になったんだ。
これまでは国政選挙に立候補したりするのは、プロの政治家以外には、
ちょっと偏向している思想や宗教の人たちとか、ちょっと目立ちたいお笑い芸人とか、
風変わりな奇人変人ぐらいだった。

そういう意味でも、3.11というのは大きな転換点だったんだと思う。
予兆としての阪神大震災も、人の生き方を大きく変えたけれど、
それは3.11でもう決定的に、元の世界には戻れなくなってしまったように思う。
言い方を変えれば、そのことに気づいてしまった人と、気づけない人、
気づこうとしない人たちがいることが、
そこではっきりとしたといった方がいいのかもしれない。

「復興、復興ってどこに復興するんだよ」と、三宅洋平はいう。
彼はネパールから戻ったタイミングで東日本大震災に遭い、
毎日12時間が停電で当たり前のネパールと、
わずか2時間の計画停電で大騒ぎする日本との違いに愕然とした。
お金も電気もじゃぶじゃぶと消費することでしか成り立たない社会に、
もう一度舞い戻ることが復興なのか。
本当にそう思うのか。

そうじゃなくて、ずぶずぶの消費経済の渦中にあった今までの生活の在り方を見直し、
お金中心の経済至上主義や合理性より、もっと人の心や気持ちを重視した、
持続可能な社会をめざすべきなのじゃないか。

三宅洋平は、敵味方を区別したり、対立したりすることを望まないという。
意見が違っても同じ人間なんだから、とことん話しあえば分かり合える。
それをアイヌの「ちゃらんけ」という言葉で表現する。

それを聞いて、宮本常一の本に出てきた「寄り合い」という言葉を思い出した。
それは「忘れられた日本人」という著作に出てくる逸話で、
ひとつの村の中で何か問題が起こると、裕福な者であれ、貧しい百姓であれ、
一切区別なく、それぞれが言いたいことをすべて言い合い、
みんなが納得するまでいつまでも話し合いを続けるという「寄合方式」。
夜を徹して話しても決まらなければ、また翌日に話を続ける。
それでも、どんな難しい問題でも、三日あればたいていの事は決着するのだと。

民俗学者であった宮本常一によると、そういう合議制の村運営は、
戦前の日本では何も特別なことじゃなく、ごく一般的なやり方だったようだ。
だとすれば、敗戦後の日本に津波のようになだれ込んできた資本主義と、
合理性を追求するアメリカ文化によって、それまでの日本の食生活やモノの考え方、
人と人とのつながりの感覚等、あらゆるものが根底から変わってしまったのではないか。

原発にしても、TPPにしても、基地問題にしても、
請願書や要望書をいくら提出しても何にも変わらない。
デモや反対運動の現場でいがみあうのは、
結局その地にローカルに生きる住民同士という構図になる。政治を変えるには、
もう国会に乗り込むしかないじゃないか。
そうして、多数決、数の論理といった形骸化した民主主義の土俵に、
体当たりの「ちゃらんけ」で乗り込もうとする三宅洋平。
勝ち目があるとかないとか、そういう発想を飛び越えてジャンプしようとする。

それはたぶん、そのことで何かを大きく変えることはできないのかもしれない。
でも、そのジャンプの波紋が、
その次のもう少しましな社会を築くきっかけになるかもしれない。
時代はそんな風に動いていくのだ。

そんなことを思いながら、期日前投票で比例区に三宅洋平と書いた。