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2011年12月20日

東京ブルース

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まるでナスカの地上絵みたいでしょ。犬だか、オオカミだか。
実はウチの田圃の、次郎に掘り直した溝です。
イノシシのやつが毎晩入って、ぐちゃぐちゃにしてくれたからね。
元のように掘り直しました。
ちょうど、前足のところから水が入って、後ろ足のところから出ます。

明日から草刈りですかね。
そして、畝を平らにして、来年の畑苗代の準備。
苗場をどのように拵えるのがいいのか、ちょっと思案中です。

苗場を作っても、まとめれば運ぶのがたいへん。
分散しすぎるのも手間がかかる。
それに、苗を削りとった後の畝が、かなりダメージを負うのも気になるところ。
草刈りしながら、考えてみます。

 
まぁ、それはそれとして。

 
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政府もマスコミも本当にひどいなぁ、と開いた口がふさがらない。

政府の原発「収束」宣言って、もう立派な大本営発表ですよね。

大本営発表・・・当初はほぼ現実通りの発表を行っていたが、ミッドウェー海戦の頃
から損害矮小化発表が目立ちはじめ、不適切な言い換えが行われるようになり、
敗戦直前には勝敗が正反対の発表すら恒常的に行ったことから、現在では「内容
を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞になっている。(ウィキペディア)


 
為政者の意識ってのは、戦時中とたいして変わらないみたいですね。
終戦から半世紀以上たって、情報の伝達手段も、人の価値観も、
すっかり様変わりしてるというのに、そんなウソがまだ通用すると思っているんだ。

それに輪をかけるように、観光庁が、
福島県へ旅行に行きましょう!」キャンペーンをやり始めた。
===
平成23年度第3次補正予算により、東北地方全体を博覧会場と見立て、地域
や民間の様々な取組みを連携させ、統一的な情報発信等を行う「東北観光博」
等国内観光振興の取組みを実施するとともに、訪日外客を着実に回復させるた
めの取組みも実施してまいります。
===

まだ、津波で行方不明になっている人たちがいるっていうのに、
除染のメドもたたないまま、内部被曝の恐怖に怯えて暮らす人がいるっていうのに、
片や復興特需で、電通とかに多額の税金が注ぎ込まれるんですよね。
この国は、いったい、どうなってるんだ。

 
「どうせ私をだますなら、死ぬまでだまして欲しかった」ってね。
東京ブルース、西田佐知子さんのさめた歌声が聞こえてくる。

冗談じゃない、本当に死ぬまでだますつもりみたいだぜ。


 
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かと思えば、静岡県の干ししいたけから基準超のセシウム

===
県は、基準値超えの原因が「乾燥」にあるとみて、水に戻した状態でも測った。
干した状態で599ベクレルだったのが、10分の1以下の49ベクレルと基準
値内に。水に溶け出したセシウムも23ベクレルだった。県は「食べる状態では
健康に問題ない」と呼びかけた。

地元の農協は、国に検査方法の変更を求める署名活動を実施し、全国の生産
者に賛同を呼びかけた。今月12日には、水で戻して食べる状態にしてからの
検査を訴え、厚生労働省と農林水産省に緊急要請をした。
===

おいおい、水増しして計ればOKなのか。同じしいたけだろうが。
ほな、何か?放射能汚染された震災ガレキも、
水をたっぷり含ませて基準値内にすれば、どこに持って行っても大丈夫ってか。

国民をバカにするのにもほどがあるよ。
っていうか、・・・

だまし続けてほしい人もいるのかもしれない、って思うと、
ちょっと哀しくなる。


現実は、わざわざ陰謀論なんか持ち出さなくったって、
ただただ、怠惰で、面倒くさくて、
今のままでいいやって、互いに馴れ合って、
それでどこが悪いのか、って思ったりするのかもしれない。

これだからやめられない。
大本営発表もまだまだ使える、ってか。 


あの日の夢もガラス玉、
割れて砕けた東京ブルース。

2011年12月17日

みんなのヒバク

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===

冷戦時代、アメリカはプルトニウムの量産体制に入り、操業が停止するまで
2万5千発分の核弾頭をまかなえるプルトニウムを生産した。
1950年代、そのハンフォード核施設の風下に広がる広大な砂漠が、政府の
プロジェクトで基盤整備され、アメリカ有数の緑の穀倉地帯へと変貌した。

あらゆる作物がここで生産され、もっぱら輸出される。
りんご、ジャガイモ、小麦、コーン、牧草、蕎麦など。
その大部分を買っているのは、ファーストフーズ産業と日本の商社である。
かくして、汚染作物は世界を巡り続けてきたし、今もそうだ。

この地に入植したアイルランド移民三代目の長男トム・ベイリー。
骨癌で亡くなった父親の骨は沈着したストロンチウム90で黒い斑点だらけだった。

1987年、ハンフォードに関する機密書類が公開され、放射能汚染が明らかになった。
トムのなかにあった様々な疑問に光があたった。

自分自身の病気、入院していた頃に同じ病棟で死んでいった子供たち、
大量に生まれた家畜の奇形。
白い宇宙服のような防護服を着て畑のなかで死んだうさぎや土を採取していた人々、
これらの意味がはっきりとわかった。
「農民をモルモットにした人体実験」だったのだ。

事実が明るみに出た時、トムは政府に放射能汚染による健康被害の疑問を投げかけた。
とたんに地域住民は彼を村八分にし、銀行は融資を止めた。
「放射能が怖いって?おれは平気だ、なんでもないのさ。あんなものを怖がるやつは
どうかしている」。施設で働く人々はそう言った。

弟のテリーは、政府の「安全である」という言葉を信じて、
広大な農地でジャガイモなどを栽培し成功をおさめている。
二人は兄弟でありながら全く正反対の生き方をしている。

テリーは自分の作るジャガイモがマクドナルドに買われることを誇りにしている。
もし、テリーがそのジャガイモを放射能によって汚染されていると認めたら、
広大な農地は無価値となるのだ。

テリー自身も、被害者でありヒバク者である。
でもその被害を否定して自分の人間としての誇りを守ろうとしている。
そしてそのような選択は彼を加害者として生きざるをえないような立場に追い込む
ことになってしまう。

===

「内部被曝の脅威」 肥田舜太郎、鎌仲ひとみ ちくま新書より

肥田さんは、この本の最後にこんなことを言っています。

「汚染された食物を選択の余地なく食べていくしかない時代に
既に私たちは生きていることを認識する必要がある。
それが現実だし、もう放射能のない、きれいな環境は存在しなくなってしまった。
私達の未来は、既に放射能にうっすらとまみれている。」

「明日には死なないが、未来の世代には果たしてどのような問題を
抱え込むことになるのだろうか。
現在、被ばく者となり、苦しむ人々は、過去の汚染の犠牲者であり、
現在の汚染が未来の私たちの苦しみになることが、はっきりと見えてきている。
誰も責任をとることのできな、い内部被曝の時代に私たちは生きている。」


哀しいですよね。

「自然界にも放射線があるのだから大丈夫だ」というキャンペーンが行われ、
放射線量も "直ちに影響のある" 外部被曝の値しか問題にされない。

体内に入った微量の放射性物質がどう振る舞うのか、
現代の科学では100%解明されていないのだという。

しかし、アメリカでは、原爆投下の四ヶ月前に、プルトニウムを人体に注射する実験が
行われていたことも明るみに出ているし、
先ほどのハンフォードでは、
放射性ヨウ素131を載せた気象観測用の気球を飛ばして、
風下の住民に放射性物質をばらまくなど、
各種の人体実験が行われていたこともちゃんと記されている。


低線量放射線による内部被曝の危険性など、
アメリカなんて、もう当然のこととしてわかっているはずですよね。
でも、わかっていたとしても、
ビッグビジネスに支障が出るようなことは、頑として認めないのです。
それだけのことです。

だからね、
自分たちの生命はもう自分たちで守るしかないのです。
知らぬがホトケになる前に、この本は読んでおいたほうがいいよ。

2011年12月10日

やくたいもない話

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昨日、みぞれが降った。
もう12月なのに、野良仕事をしていると半袖でも暑い日がある。
田圃では夏の虫に刺されたり、夜にはまだ蚊がブーンと飛んでいるのだ。

そうかと思うと、昨夜半から急に冷え込み、雨がみぞれに変わった。


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今日なんか、ストーブの側にいても背中が寒い。
いったいどうなってんだ。


「思想としての3.11」という本を読んだ。

思想とか哲学を生業にしているような人たちは、
いったいこの3.11をどうとらえているんだろうか。
それはやっぱり、ちょっと興味があった。

しかしこの本を読んで、意外にもというか、やっぱりというか、
この有事にあって、日本の思想家とか哲学家と呼ばれる人たちというのは、
まったく、やくたいもない。

やくたい(益体)もない、というのは、
「役に立たない。無益だ。つまらない。でたらめだ。」ということ。
用法 → そんなやくたいもない話はやめろ。  Stop talking such silly nonsense.
ということですね。

も少しガツンと、コトの本真に迫る論述が読めるのかと思ったら、
どれもこれも、冗長な文学的言葉遊びの域を出ない。
都市に暮らす知識人たちは、なんでこんなにも無力なのか。

きっと、豊かな経済機構の恩恵をフツーに享受しながら、
当たり前の消費生活を日々当たり前のように消費しているからなんだろうね。


 
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この本の最後に「反原発のしるし」という記事があって、
こんなことが書かれてありました。


原発はたんなる発電所でもなければ、リスク管理の対象でもない。
原発は国家や資本のコントロールを正当化する装置である。
かつて鉄器をもった支配者に服従したように、
われわれは原発による統合をしいられてきた。

反原発であることは、なによりこの装置による囲い込みそのものを破壊することである。
賭けられているのは「危険に陥った世界における危険に陥った現在意識の救済」
であり、原発という装置からの脱出は呪術的な世界への下降なしにはありえない。


つまり、民衆の、というより覚醒した無名の個々人の、
アナーキーな呪術的抵抗だけが、このやくたいもない世の中を変える起爆剤と
なるのかもしれない、という主張。

そういえば、そういう兆しがなくもないなぁ、と思ったりする今日この頃です。