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2011年9月10日

生活を言い訳にしない

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これは仙人草。
きれいな花ですが、毒草なのだそうです。
かぶれたり、食べると胃や腸が炎症を起こしたりするそうです。
草むらに咲いているのを引っこ抜いたら、長い蔓で取れました。
水をあげてると、結構長持ちしています。

小出裕章さんの新刊「原発はいらない」を読んだ。

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・・・友人は「生活を言い訳にして、学者の地位にしがみつきたくない」
と言って大学院を退学し、「捨てるものがなくなればいい」と鳶職に転
進して反原発の志を貫き、今では運動の中心人物になっています。

 私は彼とは別の道を選びました。原発を推進するアカデミズムの中
で、原発に反対し、原発をやめさせるための研究を続ける者も必要だ
と考えたからです。
彼とは、「行く道は違っても、生活を言い訳にするような行動はとらな
い」と約束し、今日に至っています。心が萎えそうになった時、私はこ
の四十年近く昔の約束に励まされてきました。
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そういうことなのだろうと思います。
それは原発だけの話じゃなくて、人は往々にして、
物事の正否なんかより、
将来の環境汚染なんかより、
どこか遠いところで起きている大惨事より、

それがどんなにくだらなくて退屈な毎日でも、
この町の、今の、自分たちの、
波風を立てない、安穏な生活の方が大事なのだと思う。

いくら原発を建てたいと画策する強い勢力があったとしても、
そこに「建てさせない」という、はっきりとした住民の意志があれば、
建てることはできない。

それでも、目に見えない将来の不安より、目の前のお金の方が大事
だと考える人たちは、やっぱり目の前のお金に目がくらんでしまう。

「交付金」「補償金」、そんなもので引き換えにできる自然なんてない
はずなのだけれど、誰のものでもない自然環境を、欲や貪りだけで、
人間同士がお金でやり取りしていることの不思議。

だいたい巨悪というものは、政治がらみでやってくる。
お役所が片棒を担いで、既成事実を積み重ねて計画をごり押しする。
そうなると、田舎に住む従順な住民は、「お上のいうことだから」と、
思考を停止して長いものに巻かれることになってしまう。

それが「ちょっとおかしいな」と思うことでも、「本当は嫌だなぁ」と思っ
ていても、自分から反対を口にすることはしない。
それがどんなにくだらなくて退屈な毎日だとしても、
この町の、今の、自分たちの、
波風を立てない、安穏な生活と人づきあいの方が大事なのだ。

だから、日本には原発が54基も建ってしまう。

 
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青森県六ヶ所村の再処理工場
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1989年に事業指定申請された当初は、1997年末の本格稼動を予
定していましたが、相次ぐトラブルのため、完成までの延期はこれま
でに20回にもなり、当初発表されていた建設費用7600億円が、現
在では2兆1930億円にも膨らんでいます。

六ヶ所再処理工場が環境に放出する放射能の量はケタ違いのもの
になり、普通の原子力発電所の原子炉1基が、1年に放出する量の
放射能を1日で放出するとさえ言われています。

試運転中に工場から大気中と海に放出された放射性物質の汚染は
すでに深刻な状態にあり、しかもその汚染は、隣接する岩手県南部
や三陸海岸にも広がっています。
さらに再処理工場周辺の井戸からは、全国平均の7倍に当たるスト
ロンチウム90が検出されたという報告もあります。

六ヶ所再処理工場の近くまで行くと、見上げるような排気塔が現れ
ます。これは気体の放射性物質を外に「捨てる」(放出する)ための
ものです。
液体の放射性物質は、太平洋の沖合3キロメートル、水深45メートル
に引かれた放水管から海中に放出されます。

海に放出される放射能のひとつにトリチウム(半減期12.3年)があり
ます。海に放出される量は、年間1万8000テラベクレルで、1日あた
りにすれば約60テラベクレルです。このトリチウムを原子炉等規制法
で放出されることが許される濃度まで薄めようとすれば、毎日100万
トンの希釈水が必要になります。
つまり、六ヶ所再処理工場は、毎日100万トンの水で薄めなければな
らない毒物を海に流す工場なのです。

そこで政府は、再処理工場については原子炉等規正法の対象から外
してしまいました。
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とさ。


六ヶ所再処理工場の平常運転時に放出が予定されている放射性物
質は、クリプトン85、トリチウム3、炭素14で、これら三核種だけで全体
の被爆量の7割に達するそうです。

これらを放出せずに取り除く技術もあるのですが、それにはコストがか
かりすぎるため、何もせず全量放出しているのだそうです。

直ちに人が死ぬよう事なら少しは考慮するのかも知れませんが、お金
や利権のためには、将来の住民の健康被害や、ましてや目に見えな
い環境汚染の事なんか、屁とも思っていないようです。


「たかが原発事故」ぐらいで、原発推進は止められない。
その理由はだいたい以下のようなものです。

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①独占企業である電力会社は、原発を作れば作るほど、稼動すれば
 するほど儲かる仕組みになっている。

②原子炉の製造を三菱重工、東芝、日立などの大企業が担い、その
 まわりに「原子力村」の住人である政治家、官僚、地方自治体、関連
 企業が群れ集まり、原子力利権を分け合う構造を手放すことができ
 ない。

③「原子力開発=核兵器開発」であり、日本の政府は一貫して核兵器
 をいつでも製造できる態勢を維持することに努めてきた。その国策を
 「たかが原発事故」ぐらいで変更はできないと思っている。

④原発交付金、補助金などによって財政の首根っこを押さえられてい
 る地方自治体は、雇用の問題もあり再稼動を容認せざるを得ない。
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原発をやめても電力は不足しない。
それはもう明らかなこと。

高コストな原発は、まともに稼動したとしても、放射性物質の廃棄コスト、
耐用年数を過ぎた原子炉の廃炉コスト、使用済み燃料の再処理コスト
などがかかる。
ましてや、今回のような事故が起きると、その被害は東電が何度倒産し
ても間に合わない、国家財政が破綻しても賠償しきれないほどの額に
なります。だから、子どもや妊婦が被爆しようが避難させず、汚染された
食物をどんどん流通させて、被害を小さく小さく見積もろうとする。
いずれにしても、その後始末は国民が背負うことになるわけです。

こういう現実を前にしても、まるで何事もなかったかのように、TVや新聞
は、これまでどおりの日常の生活を歌っています。
そして、多くの人々も、騙されたままの楽で安穏な生活を今までどおり夢
見続けるのでしょうか。


一人ひとりの人間の力など知れています。
しかし小出さんは、原子力の研究者として、今後も原発廃絶のため、自
分の持っている力を尽くします、と述べています。
宮沢賢治の言葉を引用して、こう記しました。

「個性の優れる方面において、各々止むなき表現をなせ」