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2011年4月 9日

春になってきた

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昨日は久しぶりの雨で(・・・それは放射能の雨かもしれないけれど)、
草ぐさは朝つゆをいっぱいためて、ひと回り成長しておりました。
いよいよ春の気配です。

4月も中旬になろうというのだから(・・・原発の不安はいっこうに晴れないけれど)、
そろそろ重い腰を上げて、田畑に通わなければいけません。
種籾の算段もしなくちゃいけません。

 
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サヤエンドウが実を結んでおりました。
ことし初豆、初収穫。
さっと湯通しして、かじったら、あぁ、確かにこんな味でした。
一年ぶりです。実ってくれて、ありがとう。

 
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汚染されていない土、汚染されていない大気、
そして汚染されていない河川、海。
それは昔は、ちっとも当たりまえのことでした。

今はもう、願ってもないものになろうとしています。

田舎だって同じです。
少しぐらい緑が多いからって、里山ももう見捨てられてしまったから、
荒れちゃって、竹藪やイバラばかりです。

山間に、谷筋に、無造作に捨てられてきた廃棄物。
そこからやがて、ダイオキシンやヒ素や鉛が地下水に染みこみ、
河川をつたって生命の海に流れこみます。

海が透明で、きれいだからって、
そこはもう、貝や魚が住めなくなっているのです。

これからは、無邪気にアジゴ釣りだって楽しめない。
ワカメやのりだって、ちょっとびくびくしながら口にしないといけない。
こんな海の近くに住んでいるのに、何てことでしょうね。

 

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これは菊菜の花。
今日は、そのそばにジャガイモを植えました。

来週からは田圃に出ようと思っています。

原発がいくつ吹っ飛び、放射能がまき散らされようが、
ダイオキシンや環境ホルモンで、どんなに海や大気が汚染されようが、
いったん出たものは、誰も回収することができないのだから、
自然に薄まることはなく、重く蓄積されていくのだから。

はい、わかりました。
私たちは、もうそれらを甘受して生きていくしかないと、
そういうことですね。


日本が、もう少しまともに物事を考えられる社会になることを祈りながら、
私は、黙って田畑に出ることにします。

コメント

放射能に汚染されていない空間など、もともとこの地球上にはなかったと思います。
自然放射能も、核実験・核開発による放射能も、地球上をくまなく汚染しています。
水銀など重金属も、ダイオキシンも同様です。

量はともかく元々あったものを、人間が計測できない=(認識できない)=汚染されていない、あるいは、あってもこれぐらいは普通=正常という勘違いをしてきただけだと思います。

だからといって桁違いに汚染された現状が許されるわけではまったくありませんが、今まで同様、気づかずに甘受してきた日々がこれからもつづくのは、そのとおりだと思います。

気づかなくても、身体は蝕まれていきます。
知らなくても具合は悪くなります。

ダイオキシンも環境ホルモンも放射能も、工業化社会で生み出されてきたものです。
もともとあったものとは別物だから、自業自得ではあるのだけれど。
自分たちが作った利便性・効率性の副産物に、自分たちが痛い目にあっているのです。

しかし、それに気づいたなら、自分たちは少し考えたほうがいい。甘受しながらも、自分たちがやれることぐらいやった方がいい。そう思います。
汚染は自分たちよりも、むしろ次世代への置きみやげになってしまうから。

それぞれの立場でやれることをやりましょう。
誰かが何とかしてくれるなんて幻想
その誰かは自分自身なんですから

宅野廃棄物処理場 反対
4/11日に宅野出身の東京人に会いました。
半年前に会った時には、「廃棄場建設は仕方ない」と言っていました。
ところが、今度会った時には、そこからやがて、「ダイオキシンやヒ素や鉛が地下水に染みこみ、海に流れこむ」から、廃棄場建設には反対だ…と言っていました。
Caferoman さんの主張が、少しづつ浸透しています。

ありがとうございます。うれしいことです。

管理型の最終処分場が、実はほとんど管理されていないこと。
そこから放出され続ける有害物質が、いかに複雑に人の健康に悪影響を及ぼすものか。
私もこれまで知らなかったのです。
知れば知るほど、それは非日常の放射能に匹敵するぐらい、日常的であるだけになおさら、
深刻な問題なのだと思います。
声を力に。

ゼオライトがいいと書いてあったが(朝刊)産地は大田市付近。もともと自然界にないモノを自然の力で回復しようとしてもまた自らの環境を犠牲にしなければならない。などと話しに行こうと思って今朝そちらに向かうつもりでしたが、老人(父)が理不尽なことを言いだし中止。またの機会にします。

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