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2010年10月25日

ただリッチ。

101025_nigisu.jpg


 
沖いわしをたくさんいただいた。
昨日はピーマンをたくさんいただいたので、今晩はごはんとピーマンの醤油炒めと
自家製味噌のおみおつけでシンプルにすませようと思っていたのでした。

沖いわしというのは、正式にはたぶん「ニギス」。
キスに似てるからニギスだそうだが、実際はまったく似ていない。
このあたりじゃ、トンコロいわしともいう。
いわしとも似てないんだけど。

こいつは何といってもすぐに鮮度が落ちるので、
何にしろ早く食べるに限る。

で、さっそく塩焼きにしたり、それを甘酢漬けにしたり、
唐揚げにしたり、定番の甘辛煮にしたり、何だか大忙しの夕食準備になったのでした。
そうして、超リッチなディナー。

食材がみんな新鮮だから、本当においしい。
毎日、ほとんどの食材は誰かからのいただきものだったりします。
そうすると、食費は限りなくただです。
でもとてもリッチだから、「ただリッチ」。

田舎は住みづらいという人がいます。

そりゃ、他所者や新参者を毛嫌いして排斥したがる人は確かにおります。
でも、それは自分たち自身が古くからの因習や近所づきあいにがんじがらめになっていて、
身動きが取れないから、そうしたうっぷんの裏返しのようなものなんです。

平和なはずの田舎の自殺率が予想外に高いのも、きっとそのせいなんですね。
ある意味では可哀想な人たちです。


でも、もちろんそうじゃない人たちもたくさんいます。
つまらない利害感情なんかいっさい持たず、
本当に気持ちよく気軽に、手助けをしてもらったり、また助けたり、
そうした人づきあいができるのは、やっぱり田舎ならではの素晴らしさだと思います。

そんな人づきあいの中から、トンコロいわしがやってきたり、
ピーマンやししとうがやってきたり、カボチャがやってきたりするんですね。
それはたぶん、モノじゃなくて気持ちなんです。

そうしたつきあいの中で、
自分が人よりちょっと得意なことを見つけて、何かで恩返しができるなら、
それでいいんじゃないかと思うんですよ。
それでもう、自分には生きていく意味があるんじゃないかと。

都会じゃ、
キャベツだって、サンマだって、お金を出さないと手に入らないわけで、
そのお金を稼ぐために、毎日好きでもない仕事に出かけている。
そうやって、生きるためにはお金を稼がなくちゃいけないと思ってるから、
ただ死ぬまでお金を稼ぐことだけが、ほとんど人生の目的になってしまっている。

それも、ある意味では可哀想な人たちです。

人が生まれて、生きていけるだけのものは、
もうこの世にすべて用意されているんだと感じることができれば、
もっと違う生き方が見えてくるんじゃないかと思うだけどね。

やっぱり、「ただリッチ」がいいと思うよ。

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