何だかもう、話したくない気持ちになることはたくさんある。
拒否して突っぱねてしまうことは簡単なことだ、とわかっていても、
それでも「語らないより語ること」を選択するのは、
とても勇気のいることに違いありません。
村上春樹がイスラエルの「エルサレム賞」の授賞式で行った
記念講演の全文を読んだ。
村上春樹って誰かに似てるなぁ、と思ったら
羽田孜さん、とか片岡鶴太郎さん、だったりする。
ま、どうでもいいことだけど。
「エルサレム賞」というのは、社会における個人の自由のために
貢献した外国人作家に贈られるイスラエル最高の文学賞なのだ
そうだ。
「社会における個人の自由」
そんなこと、これまで真面目に考えたこともなかったけれど、
日本では、そういう視点がとても新鮮に思える。
イスラエル軍が、ガザ地区の戦闘で武器を持たない市民を1000
人以上を殺戮したとしても、それでも「社会における個人の自由」
をテーマにした文学賞を持てる国であるということ。
村上春樹は考えに考えた末に、その授賞式に出席することを決め
たそうだ。その理由のひとつは、あまりにも多くの人が「行くな」と言
ったから。
見ないことより自分で見ること、何も語らないより語ること。
村上春樹が小説を書く時に、いつも心に留めている言葉に、
「高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、自
分はいつでも卵の側に立とう」というのがある。
講演では、その「壁と卵」のメタファー(隠喩)で、ガザ地区を攻撃し
たイスラエル軍と、武器を持たない市民を表現した。
私たちはそれぞれが多かれ少なかれ卵であり、そして私たちそれ
ぞれが、程度の差はあれ、高くて頑丈な壁に直面している。
壁には名前があり、「体制(ザ・システム)」と呼ばれている。
体制は本来、私たちを守るためにあるが、時には、私たちの生命を
奪ったり、他の誰かを、冷酷に効率よく、組織的に殺すようにし向け
ることがある。
体制に搾取されるのを許してはならない。体制に生命を持たせては
ならない。
体制が私たちを作ったのではなく、私たちが体制を作ったのだから。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。
それでも、「罪でさえ憎む必要はないんだ」という人に出会って、
「そうか、そういう考え方もあるのか」と思って、新鮮だった。
僕たちは本当はあらゆるものを捨てることができる。
捨てれば捨てるほど、自分の身も心も軽くできる。
それでも、98%ほど捨てたとしても、
残りの2%ほどは意地として取っておいてもいいだろうと思っていた。
ところが、それさえ捨ててよかったんだ。
2枚の写真は出雲のシェルブールというフランス料理レストラン。
店内にはクリムトの絵がたくさんかかっています。
この店で18年。オーナーシェフは素敵な料理人です。
その三原さんが作るデザートは、とびきりおいしい。
おいしいデザートを作る三原さんの人生を思ってみる。
出雲に出かけたら、ぜひ寄ってみてください。
不定休なので、予約してから行くといいみたいですよ。