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2008年11月 2日

11月の頃

人の思いというのは様々で、
何を大切に思い、どこで意地を通し、何を嘆くかなんて、
そんなこと、およそ他人にはわからないものだ。

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他人に頼るつもりはないけれど、
喜んでもらえるなら、
それが自分のできることなら、いくらでも手伝ってあげる。


人はそれぞれ、得意不得意というのがあるものだし、
自分には簡単にできても、他人にはひと苦労なものがたくさんあるだろうから、
そんなことは、お安い御用のことならば、いくらでも手助けができる。

出し惜しみというのが一番よくないことだからね。
できることならいつでもどうぞ。


でも、それがお互いにとっていいことなのかどうかはちょっと難しい。
たぶん、どちらでもいいことなのだけれど。


結局、人はだれでも答えを持っている。
持っているけれども、その答えでいいのかどうか悩んだりする。
悩んで人に相談したり、頼ったりするのだけれど、
でも、ちゃんと答えは持っていて、結局最後には全部自分で決める。


そんなことなら、自分で何とかしろよ、と思ったりするけれど、
まぁ、それはそれでいい。
みんな、他人にやっかいをかけたいんだから。

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アーティストは嫌いじゃないが、難しい人種だ。


絵描きは、絵を描く。
絵を描くことで何かが解決するわけではないんだろうけれど、
生涯に何枚も何枚も絵を描くのだ。


どんな造形美で納得がいくものか、
陶芸家はその答えを探しながら、何度も何度も土を捏ねて、
いくつもいくつもの焼き物を焼くのだ。


それは、たぶん生きるということの手段なのだろう。
百姓が畑を耕すのと同じことかもしれない。


人の手でつくるものなんて、
みんな糞のようなものだと、自分なんかは思ったりするのだけれど、
アーティストは、そうは思わなかったりするのかもしれない。


だから自分は、たぶんアーティストにはなれない。

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人が人と触れあうことには限りがあって、
およそ「心のともだち」みたいなことしかできないんだろうな。

そうしてアーティストは、糞のような作品をいくつも作ればいい。
百姓だって、日照りの夏はおろおろ歩くんだ。


でも、人の日常なんて、
たぶんそれでよくて、それだけでいいんだろうね。


冬も近い。
そんなことを感じる、11月の頃です。

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