11月の頃
人の思いというのは様々で、
何を大切に思い、どこで意地を通し、何を嘆くかなんて、
そんなこと、およそ他人にはわからないものだ。
他人に頼るつもりはないけれど、
喜んでもらえるなら、
それが自分のできることなら、いくらでも手伝ってあげる。
人はそれぞれ、得意不得意というのがあるものだし、
自分には簡単にできても、他人にはひと苦労なものがたくさんあるだろうから、
そんなことは、お安い御用のことならば、いくらでも手助けができる。
出し惜しみというのが一番よくないことだからね。
できることならいつでもどうぞ。
でも、それがお互いにとっていいことなのかどうかはちょっと難しい。
たぶん、どちらでもいいことなのだけれど。
結局、人はだれでも答えを持っている。
持っているけれども、その答えでいいのかどうか悩んだりする。
悩んで人に相談したり、頼ったりするのだけれど、
でも、ちゃんと答えは持っていて、結局最後には全部自分で決める。
そんなことなら、自分で何とかしろよ、と思ったりするけれど、
まぁ、それはそれでいい。
みんな、他人にやっかいをかけたいんだから。
アーティストは嫌いじゃないが、難しい人種だ。
絵描きは、絵を描く。
絵を描くことで何かが解決するわけではないんだろうけれど、
生涯に何枚も何枚も絵を描くのだ。
どんな造形美で納得がいくものか、
陶芸家はその答えを探しながら、何度も何度も土を捏ねて、
いくつもいくつもの焼き物を焼くのだ。
それは、たぶん生きるということの手段なのだろう。
百姓が畑を耕すのと同じことかもしれない。
人の手でつくるものなんて、
みんな糞のようなものだと、自分なんかは思ったりするのだけれど、
アーティストは、そうは思わなかったりするのかもしれない。
だから自分は、たぶんアーティストにはなれない。
人が人と触れあうことには限りがあって、
およそ「心のともだち」みたいなことしかできないんだろうな。
そうしてアーティストは、糞のような作品をいくつも作ればいい。
百姓だって、日照りの夏はおろおろ歩くんだ。
でも、人の日常なんて、
たぶんそれでよくて、それだけでいいんだろうね。
冬も近い。
そんなことを感じる、11月の頃です。