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2008年11月28日

晴れのち雪降ろし

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今朝は明け方からゴロゴロと雷が鳴って、風もビュンビュン。
まだそんなに寒くはないけれど、アラレのような雨がバラバラと降りつける。
こりゃ、どうも雪降ろしかもしれない。

今年は雪が降ったりするのかな。
車のタイヤも履き替えなくちゃいけなくなるだろうか。


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でも、昨日・オトトイなんかは穏やかなお天気で、
こんな時にストーブの薪をたくさん作っとかなくちゃと思って、
長いのを丸のこで切断したり、太いのを手斧で割ったり。

ストーブを燃してると、人の暖かさがよく分かります。
「薪がたいそう要るだろう。」って、
大工さんや、炭焼きさんや、竹切りさんや、近所のおばちゃんや、
それこそ周りの人たちが気を使ってくれて
薪になりそうな木をいろいろ見つけてきてくれる。

そういうみんなの暖かい気持ちに支えられて、
今年もストーブが焚ける。
そういうありがたさを確認するために、
今年もストーブを焚くんだ。

だって、一人じゃ、ひと冬分の薪なんて集められない。

薪小屋にはだいぶストックができました。
でも、使い始めたらあっという間になくなっちゃうからね。

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昨日は久しぶりに大森の町並みを歩いてみました。
紅葉がとてもきれいでした。


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外はもう雨が降って、風がゴーゴー言ってるよ。

2008年11月25日

4時間ライブ!

23日のスーマーさんのライブは、吹雪にでもなりゃどうしようかと思って
心配していたのですが、前日からいいお天気になってとってもよかったです。
マイクロバスをチャーターしての「Minas Da Prata Tour 2008」。
今年の御一行様は、総勢17名の泊りがけで来られたのでした。

ライブには同行の子どもたち(ユメちゃん、ユキちゃん)も参加。
音楽の教科書から選んだ「茶色の小瓶」。
リコーダーと少し外れた音程のヴォーカルが何とも微笑ましく
素敵でした。

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会場には60名を超えるお客様とスタッフとで熱気まんまん、いやむんむん。
年齢層も幅広く、とてもいい雰囲気で進行しました。
ウクレレの重奏あり、沖縄三線あり。
4時間があっという間に過ぎました。

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3時半からスタートして、終わったのが7時半頃。
お年寄りの方や主婦は、晩御飯の準備に途中で帰られるんですね。
だから、トリのスーマーさんが出演する頃には、
だいぶお客さんも少なくなっていたのですが、
それも田舎ならではのご愛嬌(笑)。
最後は土間のステージの前にみんなが集まって楽しみました。


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そしてこうして、次第に宅野の夜も更けるというものです。

ライブの後はみんなで打ち上げパーティ。
おでんに焼きいも、
赤ハゼやイカやエイひれ、
それにおにぎりも炭火であぶって醤油をたらし。
お酒やビールもそれぞれに。
みかんも焼いたらおいしいよ。

大森の「駒」のみなさんのご協力でこんなに楽しい時間が過ごせました。
スーマーさんたち、ありがとう、来年もまたよろしくね。

2008年11月22日

スーマーさんがやってきた!

明日は、というか、もう今日になるかもしれないけれど、
23日は待ちに待ったスーマーさんのライブの日。
全部で19名のミュージシャン御一行様が先ほど為山塾に無事到着。


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フラのあいのやゆきさんは、
今回あいにくの風邪で来られなくなりました。
すごく残念なのですが、
でも、かわりに2冊の絵本を送ってくれました。
(ゆきさん、ありがとう!)

ゆきさんは絵本も書くんです。
というか、どっちかというと、フラの方が趣味なんですね。
お手紙では、「今年は仁摩の海にちなんで"海草とり"の踊りを練習していた。」
とのこと。そいつは見たかったなぁ。来年こそぜひ。
でも、お身体を大切に。

スーマーさんたちはとっても元気ですよ。
たくさんの仲間を引き連れての夢の長時間ライブ。

お時間のある方も、何かとお忙しい方も、明日は15:30からです。
少しくらい遅れても大丈夫だから、
万障あれこれ繰り合わせてぜひお越しくださいね。

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3日ほど前に初雪があって以来、
昨日まで毎日のように疾風が吹き荒れていたけれど、
今日は打って変わって穏やかないい凪の日。

この風で、畑のトマトの木も倒れ、黒豆の枝も地に伏し、
やむなく何本かは抜きました。
日照り続きもかなわんですが、強い風には勝てません。

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しょうがもだいぶ葉が枯れてきたので、今日は全部抜くことにしました。
収穫時期というのは難しいですが、
やはりあまり置いておくのもよくない気がします。
親芋のようなヒネしょうがが、だいぶひねたかもしれません。

でも、香りのいい生姜です。
これで作るジンジャーチャイは、それはうまいですよ。
薪ストーブにあたりながら、熱いジンジャーチャイを飲むと、
へなちょこな風邪なんかどこかにいっちゃいます。

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それは冬の季節ならではカフェの楽しみ。
そろそろコタツも出そうかなと思っているところです。

2008年11月14日

タマネギの定植、落花生最後の収穫

タマネギだけれど、種から育てた苗の生育が遅くて、
ちょっと心配だったので、ちょっと前に苗を50本購入。
それでも少ないかと思って、この間さらに50本を追加で購入。

そうして昨日は、ついに自家製の苗の定植を済ませたのでした。

50本買っても、せいぜい260円ほどだけれど、
種なら同じ値段で150本ぐらいにはなる。
いずれにしても、確実に元が取れるうれしい野菜です。

自家製の苗は、売ってるようにしっかり育ったのやら、
まだ生えかけの髪の毛ほどのものやら、本当にいろいろなのですが、
抜いてみると、これでもそう悪くはない感じだ。


このタマネギが全部実を結んだら、たいへんなことになるよ(笑)。
でも、たぶん小粒のタマネギがぽつぽつ出きるだろうから、
それはそれでよしとしましょう。


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落花生は今年最後の収穫をしました。
ふた畝作ったのだけれど、今年は全部茹でて食べました。
収穫が遅くなると、だんだん実が固くなるようだし、
こんなふうに芽が出てきたり、虫に食べられたりしている豆が
多くなってくる。

最初の方はまだ殻に脈が出てない未熟な豆が多かったりするし、
遅くなれば老成してきたり、なかなか収穫時期は難しい。
でも、やっぱり早目に獲った方がおいしいような気がします。

今年は、どうも株間が少し狭すぎたようです。
ズッキーニほどじゃないけれど、落花生も結構葉を広げるので、
株間が狭いと、隣の葉の豆とこっちの葉の豆が入り乱れてしまう。
それがやっぱり収穫量にも影響したりする。
来年はもう少しゆったり目に植えることにしよう。

旬の時期が短いので、
今年もたくさんの人に茹で落花生をおすそわけをした。
初めての人はたいてい感動してくれるので、
そのサプライズがまた楽しい。
来年もたくさん作ろう。

今日、かりん酒を漬けた。
渋くておいしい。


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唐辛子は、いつも美しい。
そして辛い。

明るい夜

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霜月(しもつき)。空には雲ひとつなくて、天上にぽっかりと丸い月。
為山塾の庭の白砂に、松の枝の影が落ちている。
月の光で、こんなに明るい夜なのだ。

いつもは真っ暗な納屋の中まで月の灯りで薄白い。
月の光は不思議な気分。人の心を狂わせる。

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仁摩小のパソコンクラブに出入りしていましたが、
今日が今年度の最終日。
仁摩小のホームページをリニューアルしようということで、
各チームが写真を撮ったり資料をまとめたり。
今日がその発表会。

初めて使ったパワーポイントでしたが、なかなか楽しくできあがりました。
6年生の上達ぶりはすごい。
この子たちがサラリーマンになる頃にも、
会議室では、やっぱりパワーポイントでプレゼンしたりしてるんだろうか。


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帰りに馬路の浜に寄ったら、
死んだウミガメが漂流していたという噂。

ベッコウ、ベッコウ!

だいぶ探したのですが、それらしきものはなし。
後で聞くと、午前中に白い大きなものが浮かんでいたという話。
そりゃ、夕方に行ってもないよな。


きれいな夕焼けが車のウインドーに映る。

今日はとてもいい天気でした。
そして、明るい夜。


2008年11月 6日

ゴンズイ玉

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これがゴンズイ。
頭がなまず、尻尾がうなぎ。こりゃ、まるで「うなぎ犬だ。」
トゲの毒に刺されると危ないと書かれているが、
その気で捕まえれば別にどうってことはない。

口の中に親指をつっこんで「バスづかみ」で持てば大丈夫だということなので、
そうしたが、歯があるので噛まれると結構いたい。
ぬるぬるとするが、ヒレのトゲを切ればどうってことはないのだ。


ゴンズイ釣りは、結構楽しい。
釣っているうちにだんだんコツがわかってくる。
仕掛けはサビキ。
サビキのかごがオキアミをばら撒くと、ゴンズイは狂喜するのだ。

群れであちこち回遊しているらしく、
サビキを降ろしてもしばらく反応がない時があるが、
見つけた時には、それはすごい。
しかも、同じ場所でたくさん釣れる。

ゴンズイ玉というのだが、
3,40匹ほどの群れが、塊りで寄ってきて泳ぎ乱れるのだ。
糸や針にゴンゴンぶつかってきては、エサを奪い合う。

サビキの針はゴンズイの口には少し小さいようだが、
エビをつけておくと、2匹ぐらいが一度に釣れる。
20cmから25cm。
引きが強くて、結構重たい。


普通はフグなんかと一緒で、釣っても捨てられる魚だが、
食べると結構うまい、というのが食べた人の定評です。
うなぎ系なので、やっぱり蒲焼きや煮付けがいいみたい。

磯の魚は、
生きているうちに内臓を取って早く処理しないと臭くなるということなので、
活かしたままで、帰ったらさっそく、「シゴ」。

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やっぱり、蒲焼きですよね。
うなぎより上品な感じですが、皮の焼けたところなんかうなぎそのもの。
ごはんにのせれば、それはもう立派な「うな丼」です。

これは、「石見銀山うなぎ」で売り出せそうですね。

残りは、一夜干しにしました。
焼いて「銀山レモンゆず」をかければ最高でしょう。


知る人ぞ知る、美味な外道。
誰も狙わないゴンズイ釣りは、この季節のイチ押しです。

だからといって、ウチの漁場を荒らさないでね(笑)。


P.S.
今晩から雨になるということなので、麦を蒔きました。

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小麦と大麦。
来年の6月頃が楽しみです。

2008年11月 4日

宅野の海はサプライズ!

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昨日、夜釣りに出かけたら、海へびのようなものが動くのが見えた。
ダツか海へびか。
近づくと、何とカニが泳いでいるではないか。
カニが泳ぐ!
しかも、結構でかい。

アジを釣ろうと思って手にはサビキしか持っていなかったが、
これを逃しちゃいけんと思って、サビキのかごをカニに向かって投げた。
ちょっとひっかかって、引き上げようとしたら、チャポン。

こりゃ、いかんと思って、第二投。
今度はサビキをカニのからだに巻きつけるようにして引き上げた。

「よしっ!」
上がってきたカニは25センチほどのワタリガニ。
足がまだブルーでとてもきれいのだ。


バケツに入れても逃げ出しそうなので、
そのまま家に持って帰って、いきなり塩茹でにした。

うまかったかって?
そりゃ、獲れたてのワタリガニでっせ。
うまいに決まってる。

昼間は空き瓶の中にもぐっていたたこを瓶ごと引き上げていた人がいた。
でっかいイカも流れてくる。


今日はといえば、アジの群れ。
そのあたりが黒くなって、時折、銀色のお腹がはねる。
せいごに追われて逃げてきたのだ。

その群れの周りを7,80cmのセイゴが何匹もうろついている。

目の前に見えているのに、釣れないんだよなぁ。
せいごも釣れなきゃ、アジも釣れない。


近場でゴンズイがかかるばかりなり。
ゴンズイは刺されるとあぶないからと、
針をはずして置き去りにしてきたのだけれど、
帰ってから調べてみると、「美味」とある。

もったいないことをした。
今度釣ったら、持って帰って蒲焼きにしてやる。


しかし、宅野の海はすごいなぁ。
何とも海の幸の宝庫ではある。

2008年11月 2日

11月の頃

人の思いというのは様々で、
何を大切に思い、どこで意地を通し、何を嘆くかなんて、
そんなこと、およそ他人にはわからないものだ。

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他人に頼るつもりはないけれど、
喜んでもらえるなら、
それが自分のできることなら、いくらでも手伝ってあげる。


人はそれぞれ、得意不得意というのがあるものだし、
自分には簡単にできても、他人にはひと苦労なものがたくさんあるだろうから、
そんなことは、お安い御用のことならば、いくらでも手助けができる。

出し惜しみというのが一番よくないことだからね。
できることならいつでもどうぞ。


でも、それがお互いにとっていいことなのかどうかはちょっと難しい。
たぶん、どちらでもいいことなのだけれど。


結局、人はだれでも答えを持っている。
持っているけれども、その答えでいいのかどうか悩んだりする。
悩んで人に相談したり、頼ったりするのだけれど、
でも、ちゃんと答えは持っていて、結局最後には全部自分で決める。


そんなことなら、自分で何とかしろよ、と思ったりするけれど、
まぁ、それはそれでいい。
みんな、他人にやっかいをかけたいんだから。

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アーティストは嫌いじゃないが、難しい人種だ。


絵描きは、絵を描く。
絵を描くことで何かが解決するわけではないんだろうけれど、
生涯に何枚も何枚も絵を描くのだ。


どんな造形美で納得がいくものか、
陶芸家はその答えを探しながら、何度も何度も土を捏ねて、
いくつもいくつもの焼き物を焼くのだ。


それは、たぶん生きるということの手段なのだろう。
百姓が畑を耕すのと同じことかもしれない。


人の手でつくるものなんて、
みんな糞のようなものだと、自分なんかは思ったりするのだけれど、
アーティストは、そうは思わなかったりするのかもしれない。


だから自分は、たぶんアーティストにはなれない。

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人が人と触れあうことには限りがあって、
およそ「心のともだち」みたいなことしかできないんだろうな。

そうしてアーティストは、糞のような作品をいくつも作ればいい。
百姓だって、日照りの夏はおろおろ歩くんだ。


でも、人の日常なんて、
たぶんそれでよくて、それだけでいいんだろうね。


冬も近い。
そんなことを感じる、11月の頃です。