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2008年8月25日

生き方をデザインする 2

生き方をデザインする、とタイトルを書いてみて、
あれ、これって前に書いたような気がするなぁ、と思って検索してみたら、
やっぱり半年前に書いていた。

2というのは、1があるから2なのです。1はこちら
読み返してみて、なるほどなぁ、と思う。
なんだ、書きたいと思ったことが、もう書かれてある。

すると、この半年、自分は進化してないってことか。
それとも半年間、ここまでまっすぐに思いつめてこれたってことか。


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自分は本当に何がやりたかったのか。

それは資格とか肩書きとか、地位とか、
身の回りのちっぽけな社会や組織の中で、頑張って、我慢して、誰かに認められて、
それで手にする糞のような自己満足じゃないんだろう。

誰かに認められなくても、誰かと比べたりしなくても、
今、この瞬間にも、心地よかったり、うれしかったり、美しいと思ったり、
自分で、そう感じることのできる生き方、そういうものじゃないかと思うのです。


生き方をデザインする、というのは、
自分の生きるあらゆる時間を、
そういう納得のいく瞬間、瞬間の積み重ねになるまで、
手の及ぶ隅々まで、
自分の手でクリエイトすることじゃないかと思うのです。


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カムイを読んでいると、
昔は矛盾が手の届く所にあったんだと思う。
支配する者とされる者が明確に区別され、
そして誰もが、病や死や、圧倒的な自然と隣り合わせに生きていた。

今の世の中は、そういうことがとても見えにくくなっている。
自然は人の手によって回復不能なほどに破壊され、
病や死は、あたかもコントロールされているかの錯覚に誰もが陥っている。
それが薬漬けの対症療法でしかないにもかかわらずだ。

分業され割りあてられた、わけのわからない「仕事」に、
起きてるほとんどの時間を奪われる貨幣経済の中で、
誰が敵か、何が矛盾か、どれが本当の生きがいなのか、
そういうことさえ、まるでわからなくなってしまっているんだ。


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農業でもなく、工業でもなく、サービス業でもなく、
こんなふうに、等価値の情報がすべてを司る社会になってしまったけれど、
そんな幻でしかない世の中の情報などに惑わされることなく、
せめて自分だけは気を確かに持ち続けよう。

糞みたいな情報には目もくれず、
物事の本質を見極めるクリアな眼差しを持ち続けるために、
せめて自分たちの生きる環境ぐらい、
自分たちの手で構築していかなくちゃいけない。

生き方をデザインする、というのはそういうことなんだと思います。


まず、自分の立ち位置、居場所を選ぶこと。

これまでのしがらみを強制的に断ち切ることができる場所、
そこに自分を隔離してあげることで、
バカで優柔不断な自分を、切り立った崖にまで追い込むことができる。

スタートはそこからだ。

そこに立ってみて初めて、
自分でデザインしなくちゃいけないことが、世の中にたくさんあることに気づく。
そこに立ってみないと、
自分で踏み出すしかないことに、気づけないのかもしれない。


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松江のチーナカ豆という場所は、
ある人にとっては、そんなスタートが切れる場所になるかもしれません。
そうしたきっかけをうまく掴める人ならさいわいです。

目の前のチャンスを見送ることは、誰にでもいくらでもできるのだから。


8月30日(土)に、チーナカ豆でパネルトークをやります。
■パネルトーク「田舎でカフェレストランを開く」

生き方のデザイン、そんな話をしようと思っています。

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