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2008年8月18日

竹に水をやらなくちゃ

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しっくいに嵌め込まれたガラス窓から西陽が差し込む。
その光が、土間に活けた竹を切る。
竹に水をやらなくちゃ。

たぶん前にも書いたけれど、
竹の節に小さな穴を開けて毎日水を補給してあげると、
しばらく葉も散らずに、結構長持ちする。


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おのれ生えした百日紅。
この葉が何とも見事に対生しているのです。

お盆の間は、結構若い人たちが遠くからお店に来てくれた。
カップルだったり、グループだったり。

彼らを見ていると、
無駄だなぁと思ってしまうのは何故だろう。

時間が、すごく無駄に費やされている。
そんな気がしてならない。
もちろん、僕は彼らのことなんて何も知らないから、
ただ勝手にそう思っているだけなんけれど。

何だか暇をもてあまして、
服装に気を配ったり、
ヘアースタイルにこだわってみたり、
そういうことが、
唯一譲れないアイデンティティだったりするのだろうかと、
考えてしまうのです。
変ににやさしすぎる彼らが哀しい。

それはたぶん、自分がずっと、
そんな風に自分の生き方に自信が持てなかったからなのかもしれません。


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今、カムイ外伝を読んでいます。
これはもう古典ですよね。
いつの時代も、世の中はくそのようなものだから、
せめて自分だけはしっかりしなくちゃと、
そんなふうに思わせてくれるパワーがあります。

昔は勧善懲悪が誰の目にもはっきりとしていたけれど、
今の時代は真綿で首を絞められるように、
何が正義だか真実だか、
気がつかないうちに生気を吸い取られてしまう。

誰と戦えばいいのか、何を倒せばいいのか、
もうてんでわからなくなってしまうのだ。
結局、いつの時代も動かないのは自分でしかなく、
動こうと思えば、きっかけなんて足元にごろごろ転がっているんだけれど。


何回目かのカムイを読んで、
百姓仕事の描写に納得したり、くどい注釈にやけに感心したりしています。
(白土三平はやたらと注釈が多いんだ。)


パネルトーク「田舎でカフェレストランを開く」
8月30日(土)、松江のチーナカ豆でやります。
こんなものが、誰かの何かのきっかけになればいいのだけれど。

興味のある方は、ぜひ聞きにきてください。(詳細はこちら。)


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もう鶏頭の花が、紅く咲いています。

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