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2008年8月31日

素敵なたくらみ

昨日はチーナカ豆でパネルトークがありました。
40名を越える申し込みでチーナカさんは満杯。
当日はお断りしなくちゃいけないほどでした。

八雲はこのところずっと雨模様で、
空はいつも厚い雲に覆われていたようなのですが、
この日は午後から少し空も明るくなり、晴れ間ものぞくようになりました。

初めての方も結構たくさん来られて、場所がわからず、
「チーナカ豆はどこですか」っていう問い合わせのお電話が殺到したのですが、
時間までには何とかみなさんたどり着き、無事パネルトークを始めることができました。

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パネルトークはどうだったかって、
そりゃ、実際に聞いてみなくちゃわからない。
でも、何かをやりたいと思ってアクションを起こした人たちだから、
ちゃんと地に足がついた話で、よかったんじゃないかと思います。

リアルな現実というのは、自分の足で一歩踏み出すことでしか見えてこない。

表現の仕方は違うけれど、
みんなそういうことが伝えたかったんだと思います。

カフェをやることなんて手段にすぎない。

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最後までつきあってくれた方に、
チーナカ豆特製のパーティー仕様、トルコ&北アフリカ料理のおもてなし。
石窯で焼いたバケット、おいしいですよ。

シシケバブやひよこ豆のサラダやサーモンの何とかや、
ぶどうの葉で包んだお米の何とか、クスクス、そんなものが大皿にたっぷり。
デザートには、いちじくとナッツのアイスクリーム。
ざんまい、ざんまい。


夢という言葉は、手垢がつきすぎて好きじゃない。
「私の夢なんです」、って言葉にするだけで、
ちっとも動こうとしない人が多すぎるからかもしれません。

でも、「何かをしたい」という夢がなければ、
やっぱり僕たちはどこにもいけない。

今、チーナカ豆という場所が売りに出されている。

もし、これが手に入れば、ここでやってみたいと夢を抱く人がいる。
この場所が手に入りさえすれば。


でも、その夢を叶えるにはお金が必要です。
生活するにもお金が心配。
お金、お金。お金、お金。
お金がなけりゃ、夢は叶えられないんだって。
何だかねぇ。

それじゃ、ちっともつまらない。
もっとクールで、もっとふざけてて、もっとエキサイティングなやり方ってないのかなぁ。
ずっとそう思っていました。
そう思っていたら、

・・・ありました。

「一人じゃ何もできないけれど、
多くの人の夢のかけらが集まれば、誰かの夢がひとつだけ叶えられる。」

僕たちは、そんな素敵でエキサイティングなたくらみを考えています。
実は、昨日のパネルトークの最大のサプライズは、その発表だったのです。


全国発表は明日9月1日、お楽しみに。

2008年8月29日

明日、チーナカ豆へ

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早いもんだなぁ。いや、遅いのかなぁ。
日照りの日が続いて、雷が鳴って、風が吹いて、雨が降るようになって、
まだ夏休みも終わっていないというのに、もう秋のきざしだ。

明日は8月30日。チーナカ豆でパネルトークがある日です。
■パネルトーク「田舎でカフェレストランを開く」

私もいちおうパネラーになってるんで、チーナカ豆に出かけます。
だから、明日8月30日(土)、カフェロマンはお休みさせてもらいます。
臨時休業ってやつですね。

ウチはあんまり勝手に休んだりしない方だと思うんだけれど、
そういうことで明日は休みなので、いきなり来られる方はごめんなさい。

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ウチの庭の虫たちの声です。













いやぁ、とても秋ですね。












ツクツクボウシなんかもう、「今頃鳴いててすみません。」
みたいな感じです。

このまま冬にでもなったら、薪がいくらあっても足りないよ。

この間、デイ・アフター・トゥモローっていう映画で、
氷河期に突入していく地球のことを見ていたのだけれど、
もう映画だけの話じゃないから。

いつ終わってもいいように、毎日をしっかり生きてかなくちゃね。


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明日のパネルトークは、もう40名ぐらい申し込みがあるみたいで、
立ち見が出るんじゃないかって感じだけれど、
ひょっとしたら楽しいサプライズが発表されるかもしれません。

今にも壊れそうな地球で、
まだ自分は何にもやってないなぁ、と思われる方はぜひお越しください。
意気地なしの自分にも、何かができるチャンスが転がっているかもしれません。

2008年8月25日

生き方をデザインする 2

生き方をデザインする、とタイトルを書いてみて、
あれ、これって前に書いたような気がするなぁ、と思って検索してみたら、
やっぱり半年前に書いていた。

2というのは、1があるから2なのです。1はこちら
読み返してみて、なるほどなぁ、と思う。
なんだ、書きたいと思ったことが、もう書かれてある。

すると、この半年、自分は進化してないってことか。
それとも半年間、ここまでまっすぐに思いつめてこれたってことか。


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自分は本当に何がやりたかったのか。

それは資格とか肩書きとか、地位とか、
身の回りのちっぽけな社会や組織の中で、頑張って、我慢して、誰かに認められて、
それで手にする糞のような自己満足じゃないんだろう。

誰かに認められなくても、誰かと比べたりしなくても、
今、この瞬間にも、心地よかったり、うれしかったり、美しいと思ったり、
自分で、そう感じることのできる生き方、そういうものじゃないかと思うのです。


生き方をデザインする、というのは、
自分の生きるあらゆる時間を、
そういう納得のいく瞬間、瞬間の積み重ねになるまで、
手の及ぶ隅々まで、
自分の手でクリエイトすることじゃないかと思うのです。


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カムイを読んでいると、
昔は矛盾が手の届く所にあったんだと思う。
支配する者とされる者が明確に区別され、
そして誰もが、病や死や、圧倒的な自然と隣り合わせに生きていた。

今の世の中は、そういうことがとても見えにくくなっている。
自然は人の手によって回復不能なほどに破壊され、
病や死は、あたかもコントロールされているかの錯覚に誰もが陥っている。
それが薬漬けの対症療法でしかないにもかかわらずだ。

分業され割りあてられた、わけのわからない「仕事」に、
起きてるほとんどの時間を奪われる貨幣経済の中で、
誰が敵か、何が矛盾か、どれが本当の生きがいなのか、
そういうことさえ、まるでわからなくなってしまっているんだ。


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農業でもなく、工業でもなく、サービス業でもなく、
こんなふうに、等価値の情報がすべてを司る社会になってしまったけれど、
そんな幻でしかない世の中の情報などに惑わされることなく、
せめて自分だけは気を確かに持ち続けよう。

糞みたいな情報には目もくれず、
物事の本質を見極めるクリアな眼差しを持ち続けるために、
せめて自分たちの生きる環境ぐらい、
自分たちの手で構築していかなくちゃいけない。

生き方をデザインする、というのはそういうことなんだと思います。


まず、自分の立ち位置、居場所を選ぶこと。

これまでのしがらみを強制的に断ち切ることができる場所、
そこに自分を隔離してあげることで、
バカで優柔不断な自分を、切り立った崖にまで追い込むことができる。

スタートはそこからだ。

そこに立ってみて初めて、
自分でデザインしなくちゃいけないことが、世の中にたくさんあることに気づく。
そこに立ってみないと、
自分で踏み出すしかないことに、気づけないのかもしれない。


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松江のチーナカ豆という場所は、
ある人にとっては、そんなスタートが切れる場所になるかもしれません。
そうしたきっかけをうまく掴める人ならさいわいです。

目の前のチャンスを見送ることは、誰にでもいくらでもできるのだから。


8月30日(土)に、チーナカ豆でパネルトークをやります。
■パネルトーク「田舎でカフェレストランを開く」

生き方のデザイン、そんな話をしようと思っています。

2008年8月19日

種取りきゅうりと麦畑

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だいぶ黄色くなったし、
もう、そろそろいいだろうと思って、熟したきゅうりを取った。
こいつは固定種の地這えきゅうりだから、来年はこの種が使えます。

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しかし、でかいよなぁ。
これぐらいでかけりゃ一本でもだいぶ食べがいがあるだろうに、
何で未熟の青いものを食べるようになったんだろうかね。

ま、青い方がうまいんだろうけど。


さて、秋になったら今度は何を植えようか。

今は麦とか大豆とか、穀物系に関心があります。

やっぱり、風に揺れる麦畑がいいですよね。
秋からは畑がもうひとつ増える予定なので(第4農場!)、
そこを全面麦畑にしようかと考えています。

でも、脱穀の事を考えると、ちょっとやっかいではあります。

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強い風が吹いて、海は波が荒く。
まだ、8月だというのに、近頃朝晩が涼しくて、
何だかもう秋になっちゃったみたいだ。

2008年8月18日

竹に水をやらなくちゃ

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しっくいに嵌め込まれたガラス窓から西陽が差し込む。
その光が、土間に活けた竹を切る。
竹に水をやらなくちゃ。

たぶん前にも書いたけれど、
竹の節に小さな穴を開けて毎日水を補給してあげると、
しばらく葉も散らずに、結構長持ちする。


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おのれ生えした百日紅。
この葉が何とも見事に対生しているのです。

お盆の間は、結構若い人たちが遠くからお店に来てくれた。
カップルだったり、グループだったり。

彼らを見ていると、
無駄だなぁと思ってしまうのは何故だろう。

時間が、すごく無駄に費やされている。
そんな気がしてならない。
もちろん、僕は彼らのことなんて何も知らないから、
ただ勝手にそう思っているだけなんけれど。

何だか暇をもてあまして、
服装に気を配ったり、
ヘアースタイルにこだわってみたり、
そういうことが、
唯一譲れないアイデンティティだったりするのだろうかと、
考えてしまうのです。
変ににやさしすぎる彼らが哀しい。

それはたぶん、自分がずっと、
そんな風に自分の生き方に自信が持てなかったからなのかもしれません。


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今、カムイ外伝を読んでいます。
これはもう古典ですよね。
いつの時代も、世の中はくそのようなものだから、
せめて自分だけはしっかりしなくちゃと、
そんなふうに思わせてくれるパワーがあります。

昔は勧善懲悪が誰の目にもはっきりとしていたけれど、
今の時代は真綿で首を絞められるように、
何が正義だか真実だか、
気がつかないうちに生気を吸い取られてしまう。

誰と戦えばいいのか、何を倒せばいいのか、
もうてんでわからなくなってしまうのだ。
結局、いつの時代も動かないのは自分でしかなく、
動こうと思えば、きっかけなんて足元にごろごろ転がっているんだけれど。


何回目かのカムイを読んで、
百姓仕事の描写に納得したり、くどい注釈にやけに感心したりしています。
(白土三平はやたらと注釈が多いんだ。)


パネルトーク「田舎でカフェレストランを開く」
8月30日(土)、松江のチーナカ豆でやります。
こんなものが、誰かの何かのきっかけになればいいのだけれど。

興味のある方は、ぜひ聞きにきてください。(詳細はこちら。)


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もう鶏頭の花が、紅く咲いています。

2008年8月16日

さるすべりの花が咲いた。

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さるすべりの花が咲いた。
数十年放置されて、枝がこんがらがってどうしようもないので、
春先に思いきって強剪定をしたのだ。

あまりに思い切ってやったので、実のところはちょっと心配していたのですが、
なんの。
つるつるの幹から細い枝がにょきにょきと生えてきて。

それでも、近所のさるすべりはどんどん花が咲いているのに、
ウチのさるすべりは葉っぱばかり。

今年はまだダメかなぁと思っていたら、
ついこの間、桃色のきれいな花が咲きました。

さるすべりは百日紅というのだから、
100日ほどは花が続く。
今が8月だから、11月中頃まで花が続くのかなぁ。


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スイカね。
もう、今年はスイカもだめかなぁ、と思っていました。
やっぱり、種からだと実がつくのもだいぶゆっくりなんですね。

追肥をやろうかどうか、
どうせなら、これからは無肥料でやっていきたいと思っているので、
悩ましいところですが、
大国B君が少し残っているので、これをやっときますかね。

後は、自分でがんばって、大きくなってください。


働かざるもの喰うべからず、ということで、
ウチの場合は、野菜だって自分のことは自分でするのが決まりです。

肥料が少ないとか、虫がつくとか、
バカやろう、そんなこと自分で何とかしろよ。
根があるだろうが、りっぱな根が。

ヤならいつでも出てっていいんだぜ!

そういうことです。


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きゅうりね。
ウチのは全部、地這えにしてるから、
草が伸びてくると、探すのがたいへん、というか、おもしろい。
葉っぱに隠れているから、角度を変えてみないとなかなか見つからない。
まだちっちゃいな、と思って見逃していると、
雨が降ったりすると、一日二日で大きくなっちゃうからね。

このきゅうりも発見するのがちょっと遅れて、
食べちゃおうかと思ったけれど、
でも、とてもいい形だったから、これで来年の種を取ることにした。

だから、もっとでっかく黄色くなるまでこのままに。

きゅうりはいいですね。
夏野菜としては最高です。トマトやかぼちゃやナスや青ジソ、
ズッキーニ、バジル、とうもろこし。
そういう野菜があれば夏が過ごせる。


今日、朝方に少しまとまった雨が降った。
そのせいで、何だか急に秋らしくなって、随分と過ごしやすいのだ。

お盆の帰省で、
ここ2・3日、このあたりはどこも人口が三倍ぐらいになっていた。
それがまた、ちりちりばらばらと都会に帰っていく。
都会でしか暮せないヤツは仕方がないのだ。


そしてまた、僕たちの静かな宅野が戻ってくる。
ふふ。


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2008年8月15日

ファミリーコンサート

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グランドピアノ持ち込みのファミリーコンサートが終わりました。
親戚じゅうが音楽家というのはどういう気持ちなんだろう。

よく、楽器店主催の発表会みたいなのがありますが、
それがファミリーだけでできるというのが何とも素晴らしい。


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親戚だけで100人ぐらいは集まる、ということをお聞きしてたので、
そのつもりではいましたが、本当に100人ぐらいが来られました。


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為山塾は、土間をステージにして、土間にもパイプ椅子を20席ほど出して、
あとは上がりかまちのところ、そして土間に面した十畳と八畳の部屋を使って、
約100人。座敷からステージを見るには、これがほぼ限界かもしれません。


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でも、みなさん本当によく来ていただきました。

午前中に少し雨が降りかけたりしましたが、
本番には、全員に配布されたオリジナルうちわがちょうど役に立つぐらいの陽気。
途中からは、いい風も入ってきて、まずまずのお天気でした。

第二部のアンサンブル・トリコロールさんの演奏も素敵でした。
マンドリンとフルートとギターの取り合わせなんてどんなだろうと期待していましたが、
とても繊細できれいな演奏でした。


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お盆は、ファミリーで、こういう過ごし方もいいものですね。

2008年8月12日

夏の日

昨日、グランドピアノが為山塾に運ばれてきた。


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8月15日の「ファミリーコンサート」で使うピアノだ。

グランドピアノは都会のマンションの1室なんかに運ばれて来ると
ものすごく巨大だけれど、為山塾で見ると意外と小さいのに驚く。

世の中というのは、すべて相対的なものなんだ。


でも、為山塾でグランドピアノの音が聞けるというのはいい。
ファミリーコンサートなので、和気藹々の雰囲気です。
15日はお盆だけれど、時間がある方はぜひ聞きに来てくださいね。

詳細はこちら

今日は、チーナカファミリー(チーナカ豆)が来た。
みんなで海で遊んだ。


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水猟犬(そういうのがあるのかどうか知らないが、)というのは、本当に水が好きなのだ。
好きだかどうだかわからないけれど、水の中でとても上手に犬かきをする。
そうして、泳いでいるのがとても楽しそうなのだ。
ちゃんとDNAに書き込まれているんだろうな。「海が好きだ。」ってね。


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普段は静かな宅野の町も、帰省客で賑わっている。
小学校跡には、盆踊りのちょうちんがぶら下がってね。
明日は13日。

2008年8月 8日

Pay it forward

そういえば、8.8.8.。
今日はついに、あの北京オリンピックの開会式なのですね。
だいぶ先のように思っていたけれど、時は確実に過ぎて明日が今日になる。
ウチにはテレビがないので関係ないのだけれど。


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ペイ・フォワードという映画を見た。

「世界を変える」ために、自分には何ができるだろう。
それががこの映画のテーマです。アメリカという国は、時々こういう映画を作る。
誰もが個人の自由を振りかざす一方で、巷には精神を病む人たちが溢れている。

「Pay」という言葉が何だか資本主義的に聞こえますが、
たぶん英語には精神性に関する語彙が少ないのでしょう。
「Pay it back(返済する、お返しする、見返りを与える)」の対極にあるのが、
見返りを求めない「Pay it forword 」ということです。

スケールの大きな作りごとには事欠かない国。
何が本当で、何が嘘かは、実際のところ、あまり関係がないのかもしれません。
ただ、何かやりたいことがあるなら、今から一人で歩き始めるか、
それとも地位と権力とを手中におさめて、有無を言わさずに社会を動かそうとするか、
どの方法でやるかは、それぞれの品位の問題で、
いずれにせよ、人々には等しく、それを実現させる自由と可能性がある。
それを信じようと思わせる国ではある。


「 You're Crazy 」が褒め言葉になる大らかさがあればいい。
何だってありなんだ、という考え方ができればいいんだ。


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ところで、ウチのとうもろこしがぼちぼち大きくなってきた。
これが生食でも、お菓子のように甘くておいしい。
とうもろこしの種は、町の種苗店には、もうF1交配種しか売っていない。
まったく、どこを探してもも売っていないのだ。

仕方がないので、
「やわらかく、甘くて、病気に強い」、みたいなF1交配種を買って植えた。

だから、とても甘くておいしいのができて、それはそれでいいのですが、
何だか嬉しいけど自分の手柄じゃないような、
心の奥底で納得いかないものがあったりするのだ。

それはそれとして、

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ついに、宅野で最後の鍛冶屋さん、
高橋鍛冶屋謹製の出刃包丁を手に入れた。
いいねぇ、銘入りだ。


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さっそく大きなせいごでも釣ってきて、三枚に下ろしたいところですね。


昨日は、この夏最後となる保育園さんが帰ったあとに、
バケツをひっくり返したような大雨が降った。

「よしっ。」と思って、
雨が上がった後に、濁った宅野川にうなぎを釣りに行ったのだけれど、
フグのヤツめに針ごと噛みちぎられた。

もう何回か挑戦しているのですが、うなぎ釣りはなかなかうまく行かない。
おっきなのが、にょろにょろしてるのが見えてたりするんだけどね。


でも、その日の夕焼けは奇跡のようにきれいでした。


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この物語は、2008年8月8日から始まる。


博士は、「退屈じゃないか?」といった。
「ここで何か創造的なことをしたらどうか。」

退屈って、なんだ。創造的?
創造的って、いったいどういうことだ。

この日々の暮らしこそ、何か創造的なものじゃないんだろうか。

2008年8月 4日

Siesta(シエスタ)そして水遊び

暑い時には仕事にならない。それならみんなで昼寝だ、昼寝!
午睡のための時間 - SIESTA(シエスタ)。
昼寝が社会的に認められている国なら幸せだ。


夏になると、為山塾には小さな子どもたちがたくさん遊びに来る。
海に入って泳いだり、かまどで炊いた貝ご飯を食べたり、
ひとしきり遊んだ後は、海風の涼しい大広間で、大ひるねだ。


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森山大道氏が幼少期に遊んだという、
その同じ津辺の浜でみんな大はしゃぎ。
でも、子ども以上に、実は大人がとっても楽しそうなのだ。


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お昼寝の前には、むかしむかしのお話ししてね。

白砂に松葉の枝が揺れるのを見ながら、縁側で聞く昔話の記憶は、
大人になってからも、何かの拍子に思い出したりするんだろうね。

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小腹がすいたら、流しそうめん。
これがまた、楽しいんだよね。いくらでも食べられる。
苦心して長い竹を割った。1本半を接いで、全長6mはある。
支えの足も、全部竹で作ったんだからね。


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子どもたちと過ごす夏は楽しいよ。

庭で蝉を掴まえたり、軒下に蜂の巣の跡を見つけたり。
三間続きの畳の部屋を走り回る子どもたちを、
こらこらと叱ってみても、
そんな時は、この家の仏様だって、
苦笑いしながら、何だか嬉しそうだよ。


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明日から、また子どもたちがたくさん来る。
今日は早く寝よう。