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2008年7月24日

夢の箱、箱の夢。もしくは、田舎暮らしのカフェ。

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僕たちはいつも何かをし始めようとする。

何かをしないで、そのまま生きていても、
何だか生きている意味のようなものがうまく掴めないからだ。

だから何かをしようとする。
いったい、何を。
その何かがわからないから、こんなにも胸が焦げる思いがするのだ。

何をやってもいい。
どこに行ってもいい。
それは生まれてから死ぬまで、全部自分で決められること。

それができないと思うなら、それはそうしたくない自分がいるだけなんだ。
できない理由なんて千個でも空で数えられる。


わかったよ、何かをしよう。
いったい、何をすればいい。
その何かをするきっかけというのは、実際どこにでも転がっている。

もちろん、ただ、突っ立ってぼーっと眺めてるだけじゃ、
朝が来て、夜が来るだけだ。

次の日も朝が来て、また夜が来る。
その次の日も朝が来て、また何もしないうちに君の幕は下りる。

頬を打たれて気づく愚かさもあれば、
道端に咲く花を見て、ただそれを愛しく思って涙する朝もあるのだ。

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何かをし始めようとしても、
その手続きの煩雑さにうんざりとして、やる気がなくなっちまう。

それでもいいよ。
思い立っただけでも、君にしちゃずいぶんと進歩だ。


それを本気でないというのなら、
本当の本気とは、よほど精神頑強なヤカラにしか備わっていない本気なのだ。


僕にできる手助けなら惜しまないよ。


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たとえば、静かな山の中で、
カフェでも開きたいなぁ、と思ってもだ。

更地から家を建てることを思えば、気が遠くなっちまう。

場所探しに山の中を探し回ることから始めたんじゃ、
やってられない。

水道は?ガスは?電気は?
ちょっと買い物に出るのに1時間もかかるんじゃね。
いざとなった時の病院は?

・・くだらないよ。
でも大切なことかもしれない。

土地や建物なんて、ただの箱にしか過ぎないんだ。
「箱の夢」。
箱を夢見ることは楽しいことなのかもしれない。
箱を夢見ているうちは、君は何もしなくていいからね。


でも、そこで何をやるか、
本当は君がその場所で、何をどのようにやりたいかが重要なんだ。
「夢の箱」。
自分がやりたいことを注ぎ込める場所。
夢見るだけじゃなくて、一歩踏み出すことができる箱。

オーケー、そんな「夢の箱」を紹介しよう。

■田舎暮らしのカフェ
http://cyana.caferoman.com/

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場所は、島根県松江市八雲町。
私の友人でトルコ料理&カフェをされている「チーナカ豆」さんが、
更地から育てあげた「夢の箱」を、譲ろうとされている。

売りに出してる、とはいっても、土地はいくら、建物はいくら、
みたいな不動産取引のようなイメージは持ちたくない。

そういうのじゃなくて、やっぱり「夢の箱」として、
本当に何かをしたい人のために、
そのためのステージとして使ってもらいたいと考えています。

それで、ちょっと楽しい「お泊り見学会」をやっています。

ご自慢のトルコ料理をご馳走になりながら、
暮れゆく夕べにゆったり浸り、
林の中の虫の声を聞きながら、グラスを傾ける。
そうして、ぐっすり眠った朝には、
焼きたての石窯バケットと挽きたてコーヒー。

素敵でしょ。

もし、あなたが何かをやりたいと思うなら、
こんなところにもきっかけは転がっているのだと思う。


コメント

なんか、とてもいい感じのところですね。
とても、なんかそんな感じがします。

自分の場所を探して、山の中を
歩き回っていた時に、出会っていれば
なんか、そんなふうに思えてくる場所。

自分がやりたいことを注ぎ込める場所です。

それが、僕たちの『チーナカ豆』の場所です。

この間、うちの奥さんが、今はまだ自分たちのものだけど、ここが売れてしまって、自分たちのものじゃなくなったとき、本当に此処が自分たちの場所じゃなくなった時、今はまだちょっと、想像もできないけど、どんなこころで受け止めればいいのか、みたいなことをいってました。
実は、それは、僕もちょっと思うことがあるんです。
ここも、僕らも、よい人と出会えるといいなー。
どんな出会いかなー。
それは、ちょっと、楽しみでも有ります。

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