夢の箱、箱の夢。もしくは、田舎暮らしのカフェ。
僕たちはいつも何かをし始めようとする。
何かをしないで、そのまま生きていても、
何だか生きている意味のようなものがうまく掴めないからだ。
だから何かをしようとする。
いったい、何を。
その何かがわからないから、こんなにも胸が焦げる思いがするのだ。
何をやってもいい。
どこに行ってもいい。
それは生まれてから死ぬまで、全部自分で決められること。
それができないと思うなら、それはそうしたくない自分がいるだけなんだ。
できない理由なんて千個でも空で数えられる。
わかったよ、何かをしよう。
いったい、何をすればいい。
その何かをするきっかけというのは、実際どこにでも転がっている。
もちろん、ただ、突っ立ってぼーっと眺めてるだけじゃ、
朝が来て、夜が来るだけだ。
次の日も朝が来て、また夜が来る。
その次の日も朝が来て、また何もしないうちに君の幕は下りる。
頬を打たれて気づく愚かさもあれば、
道端に咲く花を見て、ただそれを愛しく思って涙する朝もあるのだ。
何かをし始めようとしても、
その手続きの煩雑さにうんざりとして、やる気がなくなっちまう。
それでもいいよ。
思い立っただけでも、君にしちゃずいぶんと進歩だ。
それを本気でないというのなら、
本当の本気とは、よほど精神頑強なヤカラにしか備わっていない本気なのだ。
僕にできる手助けなら惜しまないよ。
たとえば、静かな山の中で、
カフェでも開きたいなぁ、と思ってもだ。
更地から家を建てることを思えば、気が遠くなっちまう。
場所探しに山の中を探し回ることから始めたんじゃ、
やってられない。
水道は?ガスは?電気は?
ちょっと買い物に出るのに1時間もかかるんじゃね。
いざとなった時の病院は?
・・くだらないよ。
でも大切なことかもしれない。
土地や建物なんて、ただの箱にしか過ぎないんだ。
「箱の夢」。
箱を夢見ることは楽しいことなのかもしれない。
箱を夢見ているうちは、君は何もしなくていいからね。
でも、そこで何をやるか、
本当は君がその場所で、何をどのようにやりたいかが重要なんだ。
「夢の箱」。
自分がやりたいことを注ぎ込める場所。
夢見るだけじゃなくて、一歩踏み出すことができる箱。
オーケー、そんな「夢の箱」を紹介しよう。
■田舎暮らしのカフェ
http://cyana.caferoman.com/
場所は、島根県松江市八雲町。
私の友人でトルコ料理&カフェをされている「チーナカ豆」さんが、
更地から育てあげた「夢の箱」を、譲ろうとされている。
売りに出してる、とはいっても、土地はいくら、建物はいくら、
みたいな不動産取引のようなイメージは持ちたくない。
そういうのじゃなくて、やっぱり「夢の箱」として、
本当に何かをしたい人のために、
そのためのステージとして使ってもらいたいと考えています。
それで、ちょっと楽しい「お泊り見学会」をやっています。
ご自慢のトルコ料理をご馳走になりながら、
暮れゆく夕べにゆったり浸り、
林の中の虫の声を聞きながら、グラスを傾ける。
そうして、ぐっすり眠った朝には、
焼きたての石窯バケットと挽きたてコーヒー。
素敵でしょ。
もし、あなたが何かをやりたいと思うなら、
こんなところにもきっかけは転がっているのだと思う。
コメント
なんか、とてもいい感じのところですね。
とても、なんかそんな感じがします。
自分の場所を探して、山の中を
歩き回っていた時に、出会っていれば
なんか、そんなふうに思えてくる場所。
自分がやりたいことを注ぎ込める場所です。
それが、僕たちの『チーナカ豆』の場所です。
この間、うちの奥さんが、今はまだ自分たちのものだけど、ここが売れてしまって、自分たちのものじゃなくなったとき、本当に此処が自分たちの場所じゃなくなった時、今はまだちょっと、想像もできないけど、どんなこころで受け止めればいいのか、みたいなことをいってました。
実は、それは、僕もちょっと思うことがあるんです。
ここも、僕らも、よい人と出会えるといいなー。
どんな出会いかなー。
それは、ちょっと、楽しみでも有ります。
Posted by: 『チーナカ豆』 | 2008年7月25日 01:11