朝日のように爽やかに
おはよう、僕の友だち。
夏の朝に、低いところから差し込む白い光が好きだ。
「Softly, As In A Morning Sunrise」
オスカー・ピーターソンの空に抜けるようなピアノの音を聞きながら、
たっぷり淹れたモーニングコーヒーを飲む。
でも、本当は違うんだよ。
もう、朝からうだるような空気感と、
身体にまとわりつくような蝉の重奏で目が覚め、
やっとの思いで重い体を奮い起こし、無理矢理今日の一日を始める。
まぁ、どっちでもいい。
どちらにしても時は取りこぼしなく刻まれていく。
あまり日差しがきついので、立て簾を買おうと思ったのだ。
8尺ほどないと屋根に届かないので、
こりゃー、トラックがないと持って帰れないなぁ、と考えていたら、
何のことはない。
「今年は完売しました。入荷の予定はありません。」
何と。
立て簾が全部売り切れる!などという現象が世の中にはあるものなのだ。
そうか。
それならそれでこちらにも考えがある。
高橋鍛冶屋さんに出していた手斧が出来上がってきたのだ。
きれいに研いでもらって、
おまけに新しい柄がついて、
なんとまぁ、立派な姿になって戻ってきたことよ。
これがあれば大丈夫。
夏がいくら暑くったって、
冬になれば、薪割りの作業が随分はかどるというものだ。
P.S.
出雲といえば、人口も増えているし、大型ショッピングモールもできるし、
大田から比べればずいぶん都会のような気がしていましたが、
昨日、ほとんど人が歩いていない旧商店街のあたりを案内してもらったら、
何だか出雲もたいへんみたいですね。
目的を果たせなくなった都市と、
都市近郊の中途半端な田舎ほど手に負えないものはない。
そんな感じです。
合板やモルタルやプラスチックな近代化に乗せられて、
朽ちてしまいたくても朽ち果てることさえできず、
ただただ哀れな姿をさらし続けるのみ。
そうなってくると、
過疎高齢化で限界集落をたくさん抱えた、このへんの久利や仁摩がね、
何だか楽園のように思えてきます。
だって、ここらはまだ、
緑に覆われたり、土や水に返ったりすることができるのですから。
人のさいわいとは案外、
腐り朽ちることができることなのかもしれません。