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2008年7月23日

梅干しと08式流しそうめん装置

080710_umeboshi.jpg


君にはもう話したかもしれないけれど、今年は梅干しを作ることにした。
しっかりと塩漬けにしたものを、日の当たらないところに置いて、
天日干しをするために、梅雨の晴れ間を待っていたのだ。


畑の青ジソの種の保存のために、畑の赤ジソを撲滅したら、
畑には赤ジソが1本もなくなって困った。
赤ジソがないんじゃ、白干し梅にするしかない。


忘れないように書いておくけれど、第一弾の天日干しは7月10日。
塩漬け瓶が3本で、全部で4kgほど。
それからは、まるで梅雨が明けたようになったので、
次々と順調に天日干しが完了したのでした。

梅雨明けまで待ってから干す人もあるようだけど、
「梅雨の晴れ間がいい。」というのは、本当のことかもしれない。


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でも、干してみると、
これがだんだんいい色合いになってくる。
なんだ、白干しで充分じゃないですか。

1kgほどは、以前いただいた赤い梅酢を加えたのですが、
仕上がりはさほど変わらないようです。

080712_umeboshi_01.jpg


日が昇らないうちにきちんとザルにならべて、
乾いた頃に、またひとつひとつ裏返していく作業が、
なかなか、非生産的で楽しいものです。


そうして、最後の1、2日は夜露にさらし、
まだ朝露を含んだ梅を、ひとつひとつ袋に入れて完成です。

うん、意外と簡単でした。
さっそく食べると、とてもフレッシュな梅干しに仕上がっています。
来年はもっとたくさん作ってもいいかも。


で、そうこうしているうちに夏休みがやってきた。
今年の夏も、為山塾には保育園さんがたくさん遊びに来ます。

夏はやっぱり、「流しそうめん」。

去年は、浄光寺のご隠元さんの発案で
二段回流式の「流しそうめん装置」が開発されたのですが、
今年は原点に帰って、まっすぐなカタチになりました。


「08式流しそうめん装置」

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シンプルなのはいいですが、
継ぎ目のないのがいいところ。
まずは、4、5mの竹をちょうど半割りにするのがひと苦労なのです。

達人なら、ナタで真ん中に狙いを定めて、
まるで竹を割るように、それは見事に竹を割るのでしょうが、
素人はなかなかそんな具合にはいきません。

真ん中に狙いを定めても、
トンカチ、トンカチ、割れ目が進んでいくうちに、
どちらか片方に寄っていってしまう。

で、1本目は失敗して、
それでも2本目は、何とかだいたい半分になったので、それでよしとした。

トンカチ、トンカチ、
ナタを酷使したので、ついに持ち手の柄が壊れてしまった。
ちょうどいい機会なので、
ウチの手斧と一緒に高橋鍛冶屋さんに直行しました。


nagashi_somen_01.jpg


これを支える足がちょっと苦心したところです。
どうです、なかなか美形でしょ。

そうそう、胸を焦がす夕焼け

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胸を焦がす夕焼けのことを書き忘れていました。
漁師さんは、もう年を取って丘に上がっても、
どうにも海のことが気になって仕方がないらしい。

暇があれば、海の見えるところに陣取って世間話に花が咲く。

実際、海は素晴らしいものだ。
毎日、毎日目の覚めるようなステージを準備する。


こんな夕焼けを見ながら仕事ができるなら、
それはいい職業だったかもしれない。


最近はもう、そんなこともなくなったけれど、
何かの拍子に、記憶の奥底にたたみ込まれていた恥辱のようなものが
ふっと脳裏に浮かんでくることがある。

ちょうど、こんな夕焼けに出会った時なんかに。


それは、自分にとっては思い出すのも恥ずかしいようなこと。
間違って思い出してしまって、一人顔を赤らめるような。

そういう恥ずかしいことを、人はひとつやふたつはしてきたのだ。


大人になって、
恥も外聞も丸抱えできるようになってからは、
いったい何が恥ずかしいことやら、自分ではわからなくなってしまったけれど。


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やがて空の月は、その輪郭を露にする。

こんな胸を焦がすような夕焼けを見ていると、
忘れてしまった恥辱の記憶だけが思い出されたりするのだ。