生き方をデザインする
世の中は何ともくだらないことに溢れている。

それは例えば、「食っていくために」とか、「自分の立場がどう」とか、
「大人なんだから」とか、「世間体がどうした」とか、
そういう糞のような理屈でお互いの顔を塗りたくっているのが、キミたちの社会だ。
「社会に出ると厳しいから」って、分かったようなことを言われて、
「生活があるから」とか、結局自分でもやりたいことを我慢するようになって、
やっぱり糞のような理屈でお互いの顔を塗りたくるようになる。
ねぇ、もうそんなこと、そろそろやめてもいい頃なんじゃないか。

地域起こしだとか、古民家再生だとか、
言っとくけど、僕たちはそんなことをやりたいんじゃないんだ。
何もないことの、溢れるほどの可能性がキミたちにわかるかい。
生活のためにつまらない仕事をして、少しだけ余った自分の時間があるんじゃなくて、
本当は朝起きてから夜寝るまで、全部自分でコントロールできる時間なんだぜ。

何度でも言うが、
僕たちは食うために生きてるんじゃない。
毎日わくわくしないでどうする。
糞みたいな言い訳をして、自分でつまらない時間を我慢して、
いったい何時まで、そんなことやってるつもりなんだ。

だから、僕は生き方をデザインすることにしたよ。
毎日でもわくわくできる、とびきり楽しい生き方について、考えることにした。
デザインをカタチにするというのは、たいしたことじゃない。
そうしたいと思うだけで、いろんなことが思いどおりになるんだ。
世の中なんて、スプーンのようにぐにゃぐにゃと曲がってね、
すべてが思ったとおりのカタチになる。
すぐにできることもあるし、少し時間のかかることもある。
でも、心配なんてしなくていい。
世の中はつまるところ、僕たちの思ったとおりのカタチにしかならないんだ。

町をひとつ作りたいと思った。
それは、生活すること、仕事すること、そこに住む人たちの心が触れ合うこと。
遊ぶこと、トライすること、学びたいことを学ぶこと。
毎日わくわくするために、すぐにアクションが起こせること。
生き方をデザインするというのは、
例えば、窓際に花を飾るように、メールの最初のひと言に頭を悩ませるように、
あるべき僕たちの、環境や、日々の生活や、人との関わりについて、
そういったことを、具体的なカタチにしていくこと。
僕たちが暮らす「町」をつくることで、それをひとつひとつ実現したいと思うんだ。
生き方を「町」というカタチにする。

「カフェロマン」というのは、すでにその町のひとつのカタチなんだと思う。
ここを基点にして、僕たちのキャンバスはひとつの町にヘンゲする。
一人ひとりの心の底に眠っていた「なったらいいのに」は、
加速度をつけてどんどん町のカタチに増殖していく。
それを一刻も早く実現するために、僕はあらゆる努力を惜しまない。
しばらくはそのことだけを考えていたい。

壊れるようなスピードで、ここを駆け抜けようと思うんだ。



コメント
我が家の前の県道は昨年末バス路線が廃止になった。同時に、唯一集落の名称がついたバス停が無くなった。交通量が激減し、冬の落ち葉が路上にたい積し、路肩のススキが視界を遮る。たった一月で集落の様子が変貌してしまった。17隣保新年会で「これから道路整備や清掃など、市や県はほったらかしだろうなあ」
肩寄せ合って暮らしていくのか、何かをしなければならないのか。
子供は数えるほどの人数しかいない。
が、誰と無く昔やっていたバーべキューやろうと言いだし、皆私の顔を見た。村は起こす物ではない。人がそれを口に出すと「起こっていく」物かもしれないと思った。
Posted by: nozu | 2008年1月15日 11:01
バンブーハウス、早く作らないとね(笑)。
Posted by: caferoman | 2008年1月15日 11:12