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2008年1月 5日

ここが僕たちの舞台だ

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いつも心を研ぎ澄ませていないと、何が本当のことだったのか、
すぐに見失なってしまう。

どこまでが手に獲れる現実で、
どこからが、スプーンのようにぐにゃぐにゃ曲げることができたのだったか、
まるで見当がつかなくなってしまうんだ。

どこまで子育てをすれば、親離れができる。
親の役割なんて、沖ぎすの頭ほどの値打ちもない。
薄汚い欲得にまみれて原油価格は高騰し、世界の株価が暴落するんだって。

どいつもこいつも三文役者の猿芝居よりひどい。

そんなもの、初めっからみんな同じぐらいどうでもいいことなんだ。

僕たちの舞台では爆竹が耳をつん裂く。
火花が飛び散り、赤い血にまみれた臓物が観客から投げつけられる。

さぁ、もう幕にしよう。


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小学生の頃に同級生だった彼女は、
ちっちゃな時に転んで、眉のところにけがをした。
だから、今でも眉メイクがうまくいかないんだ。

大人になってからも、そのことをずっと気にしていたのかもしれない。

でもね、そこが一番チャーミングだった。
誰も言ってあげないなら、僕が、そう言ってあげればよかった。


一人の部屋の、冷えた空気の中で目覚めた朝は、
葉が落ちた柿の小枝の先っぽみたいに、何ともそらぞらしく虚ろだ。


でも、それもいい。
やさしく微笑んじゃえばいいんだ。

どう転んだって、どうせみんな一人ぼっち。
例え君のことが好きだとしても、君が一人ぼっちであることを誰も変えることはできない。

後ろ髪の垂れゆく先を、振り返って見ればいい。
果てしなく、果てしなく、果てしなく、
果てしなく地に積まれた人と人と人と人のアクタの幻影が連なる。


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そして、気を失いかけた頃に幕が下りる。


壊れるなら、今でもいい。
明日、目が覚めなくてもちっとも構いやしない。

絶望さえもが、甘い果肉のようにいとおしく思える時が確かにあったのだから。


だから僕たちは、
今よりもっと生きるスピードを上げて、悔いなく走り抜けることだけを思いつめよう。

どうせ地球なんて、もうそんなに長くは持たない。


仁摩町宅野、カフェロマン。今年もどうぞよろしく。

コメント

あけましておめでとうございます。

言葉と、そして写真が、ガツンときました。
欲望を叶えるよう、疾走してみようかって気になりました。
また遊びに行きます。

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