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2008年1月17日

メッセージ(未完)

このままじゃだめだ。
そう思ったことはないですか。僕はずっとそんなふうに思ってた。


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何かをつくりたい。何かを実現したい。
どうすれば満足できるのかわからないけれど、
今の自分じゃない、もっとわくわくする生き方がどこかにあるはずだ。
そう思ってた。

やってる仕事がおもしろくなかったわけじゃない。
友だちだって少しはいた。
馬鹿話をして笑ったりすることもあった。

でも、何かが違う。
何か一番肝心なことが、どうしようもなく、根本的に違うんだ。

都会なら、街に出ればお店はたくさんある。
あれやこれや、店先には欲しい気持ちになるものがたくさん並んでいる。
食べ歩きのできる店なんて星の数ほどある。

でも、何かが違う。
そんなことでいくら時間を潰したって、どうにもならない。
そんなことでいくらお金を使っても、どこにも行けない。

そのことが、僕にはどうしようもなくわかってしまったんだ。


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TVのチャンネルをいくら変えても、明日は見えない。
自分の足で動かなくちゃどこにも進めない。
そこに座ったままで、ある日人生が塗り変わることなんてないんだ。

求人誌のページをいくらめくったって同じこと。
やりたい仕事なんて見つからない。
人生を託してもいい職場なんて、どのページを探しても載ってない。

それは、自分の中にしかなかったんだ。

僕たちの手の平には、すでに未来の夢が掴まれている。
僕たちの足元には、溢れる自由が広がっている。

僕たちが宅野で実現したいと思っている夢は、
未熟な僕たちのイメージの中に、すでにやさしく包含されていたのだ。

(未完)

2008年1月15日

生き方をデザインする

世の中は何ともくだらないことに溢れている。


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それは例えば、「食っていくために」とか、「自分の立場がどう」とか、
「大人なんだから」とか、「世間体がどうした」とか、
そういう糞のような理屈でお互いの顔を塗りたくっているのが、キミたちの社会だ。

「社会に出ると厳しいから」って、分かったようなことを言われて、
「生活があるから」とか、結局自分でもやりたいことを我慢するようになって、
やっぱり糞のような理屈でお互いの顔を塗りたくるようになる。

ねぇ、もうそんなこと、そろそろやめてもいい頃なんじゃないか。


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地域起こしだとか、古民家再生だとか、
言っとくけど、僕たちはそんなことをやりたいんじゃないんだ。

何もないことの、溢れるほどの可能性がキミたちにわかるかい。

生活のためにつまらない仕事をして、少しだけ余った自分の時間があるんじゃなくて、
本当は朝起きてから夜寝るまで、全部自分でコントロールできる時間なんだぜ。


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何度でも言うが、
僕たちは食うために生きてるんじゃない。
毎日わくわくしないでどうする。

糞みたいな言い訳をして、自分でつまらない時間を我慢して、
いったい何時まで、そんなことやってるつもりなんだ。


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だから、僕は生き方をデザインすることにしたよ。

毎日でもわくわくできる、とびきり楽しい生き方について、考えることにした。

デザインをカタチにするというのは、たいしたことじゃない。
そうしたいと思うだけで、いろんなことが思いどおりになるんだ。

世の中なんて、スプーンのようにぐにゃぐにゃと曲がってね、
すべてが思ったとおりのカタチになる。

すぐにできることもあるし、少し時間のかかることもある。
でも、心配なんてしなくていい。
世の中はつまるところ、僕たちの思ったとおりのカタチにしかならないんだ。


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町をひとつ作りたいと思った。

それは、生活すること、仕事すること、そこに住む人たちの心が触れ合うこと。
遊ぶこと、トライすること、学びたいことを学ぶこと。
毎日わくわくするために、すぐにアクションが起こせること。

生き方をデザインするというのは、
例えば、窓際に花を飾るように、メールの最初のひと言に頭を悩ませるように、
あるべき僕たちの、環境や、日々の生活や、人との関わりについて、
そういったことを、具体的なカタチにしていくこと。

僕たちが暮らす「町」をつくることで、それをひとつひとつ実現したいと思うんだ。
生き方を「町」というカタチにする。


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「カフェロマン」というのは、すでにその町のひとつのカタチなんだと思う。
ここを基点にして、僕たちのキャンバスはひとつの町にヘンゲする。

一人ひとりの心の底に眠っていた「なったらいいのに」は、
加速度をつけてどんどん町のカタチに増殖していく。

それを一刻も早く実現するために、僕はあらゆる努力を惜しまない。
しばらくはそのことだけを考えていたい。


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壊れるようなスピードで、ここを駆け抜けようと思うんだ。

2008年1月10日

クリエイティブということ

朝、目が覚めて鳥の声が聞こえてくるから、
今日もまたいい天気なんだ、と
ただ僕たちはそんなふうに思ったりするけれど、

そうして、朝起きて聞こえてくる鳥の声の、乾いた青空に響く様子が、
あるいは、それ自体が僕の作品なのかもしれない。

そう思うと、何だかクリエイティブであることに気負いを感じることが、
とてもつまらないことのように思えてくるんだ。


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それでメシが食えるとか、食えないとか、そんなことばかり血眼になって、
給料がもらえるやつには上目使いで尻尾を振って、
陰では酒をくらって繰り言のような悪態をつく。
そりゃ、天に向かって自分に唾を吐きかけるようなもんだぜ。


粘土をこねくり回して作品を作ることなら、誰だってできる。
カンバスに絵具を塗りたくって芸術家を気取ってみても、それでいったい何が変わるだろう。
原稿用紙に何百枚文章を連ねたって同じことだよ。


もっとダイレクトに、もっと振り下ろした指の先から、
四方に極彩色の鮮血がこぼれ落ちるようなクリエイティブじゃなきゃ
我慢ができないんだ。


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何か作品をつくることがクリエイティブじゃなくて、
生きることが、日々の生活そのものが作品であるようなクリエイティブが
あってもいいじゃないか。


僕は起きる。


僕は寝る。


ただ、思いついたことを君に伝えるために、
僕は大きなホワイトボードを用意した方がいいのかもしれない。


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2008年1月 5日

ここが僕たちの舞台だ

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いつも心を研ぎ澄ませていないと、何が本当のことだったのか、
すぐに見失なってしまう。

どこまでが手に獲れる現実で、
どこからが、スプーンのようにぐにゃぐにゃ曲げることができたのだったか、
まるで見当がつかなくなってしまうんだ。

どこまで子育てをすれば、親離れができる。
親の役割なんて、沖ぎすの頭ほどの値打ちもない。
薄汚い欲得にまみれて原油価格は高騰し、世界の株価が暴落するんだって。

どいつもこいつも三文役者の猿芝居よりひどい。

そんなもの、初めっからみんな同じぐらいどうでもいいことなんだ。

僕たちの舞台では爆竹が耳をつん裂く。
火花が飛び散り、赤い血にまみれた臓物が観客から投げつけられる。

さぁ、もう幕にしよう。


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小学生の頃に同級生だった彼女は、
ちっちゃな時に転んで、眉のところにけがをした。
だから、今でも眉メイクがうまくいかないんだ。

大人になってからも、そのことをずっと気にしていたのかもしれない。

でもね、そこが一番チャーミングだった。
誰も言ってあげないなら、僕が、そう言ってあげればよかった。


一人の部屋の、冷えた空気の中で目覚めた朝は、
葉が落ちた柿の小枝の先っぽみたいに、何ともそらぞらしく虚ろだ。


でも、それもいい。
やさしく微笑んじゃえばいいんだ。

どう転んだって、どうせみんな一人ぼっち。
例え君のことが好きだとしても、君が一人ぼっちであることを誰も変えることはできない。

後ろ髪の垂れゆく先を、振り返って見ればいい。
果てしなく、果てしなく、果てしなく、
果てしなく地に積まれた人と人と人と人のアクタの幻影が連なる。


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そして、気を失いかけた頃に幕が下りる。


壊れるなら、今でもいい。
明日、目が覚めなくてもちっとも構いやしない。

絶望さえもが、甘い果肉のようにいとおしく思える時が確かにあったのだから。


だから僕たちは、
今よりもっと生きるスピードを上げて、悔いなく走り抜けることだけを思いつめよう。

どうせ地球なんて、もうそんなに長くは持たない。


仁摩町宅野、カフェロマン。今年もどうぞよろしく。